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メコン川流域へのシナ人流入について述べる前に、過去記事でイタリアへのシナ人流入についてリポートしたものを採録しておきます。シナ人の大移動と受入国のあるべき姿勢への教訓が汲み取れるはずです。 なおこの過去記事は宮崎正弘先生のメルマガに投稿して掲載されたものを『ヤダヤダ日記』に再録したものでした。 尊敬する宮崎先生、 以前、お約束したイタリアへの華人流入についてのレポートです。ただし、調査目的の旅行ではなく、休暇ついでの聞き取りですので、お役に立つかどうかはわかりません。さらに、情報はナポリ近辺に限られます。 1)ナポリの有名な貧民街「スパーニッシュクオーター」とオールドシテイを隔てて南北にのびるトレド通りは、ナポリサミット以後、治安が改善され、買い物客であふれています。とはいえ、中流以上の階級は絶えて足を踏み入れるところではありませんが。このトレド通りで目に付くのは、中国人の大道商人です。ほぼ、100メートルに一つという具合です。以前は、ほとんどアフリカ系の人々が主だったのですが、徐々に中国系に駆逐されているようです。売っている物は、扇子や印鑑用の石とか、大陸から持ち込んだと思われる土産用の小物ですが、買っている人は見かけません。 2)試しに、何人かに声をかけてみると、案の定ほとんどが温州人です。入国経路などについては、もちろんおしえません。所柄、裏社会との関係が容易に想像できます。 3)シチリア島とチュニジアの間にある、ある小島がアフリカからの非合法移民のイタリアへの中継地と言われていますが、それに一枚かんでいることも考えられます。 4)旧東欧諸国は、かっての同盟国であった中国に対する入国管理がルーズなようで、狭いアドリア海を隔てただけのバルカン半島からの流入も容易でありましょう。 5)友人の住むナポリ近郊のP市は、70年代に南部経済振興のため、ある自動車工場が作られ、比較的治安もよく、ナポリからの人口流入が絶えないようです。それに混じって華人の流入も始まり、華人経営による第一号の衣料品店が最近開店しました。大道商人から初めて資本蓄積したものか、あるいは他の財政源があったのかは定かではありませんが。若い女性のオーナー(もちろん温州人)がうれしそうに切り盛りしています。 6)このP市の近くにある、ある他の市で最近、売春の一斉摘発があり、かなりの非合法移民が拘束され、多くの華人が含まれていたそうです。 7)では、一体どれぐらいの華人人口があるのかは、もちろん統計があるはずもなく、ナポリ近辺だけで三万人とも五万人とも噂されています。2000年ごろから、彼らの姿が増え始めた模様です。とすると、かなり高い増加率です。 8)トスカーナ地方が、もっとも多くの華人が居住する地域と言われていますが、以前にレポートしたように、温州人の経営する被服工場が集中しているためと考えられます。Made in Italy のイタリアンモードは、実は Made by Chinese というわけです。 9)チレント地方は、ナポリ南方200キロのリゾート地域ですが、そこでも海岸でアラブ人に混じって商売する華人諸君を見かけます。商品は相変わらずの中国製みやげ物ばかりです。ある海岸から次の海岸へ崖に阻まれている箇所もあり、移動は列車に依るのですが、移動中のある華人グループに遭遇しました。男二人女三人で、そのうちのがっちりした体格の少し年上に見える男がリーダーのように他の者を指揮していました。紅軍時代のゲリラ隊もかくあらんと思われる、かなり統制の取れた一隊です。他のアラブ人と親しそうに話しているところは、縄張りもきちんと整理されているのでしょう。そしてもうご想像されるとおり、彼らもまた温州人でした。 10) 今後どのように推移するかはまだわかりませんが、彼らのエートスからすると、資本蓄積が順調になされれば、ナポリにも華人街が現れるかもしれません。もし、裏社会「カモラ」(シチリアでは「マフィア」、ナポリでは「カモラ」)が同意すればの話でしうが。 (マルコ、在ドイツ) 後日談です。ナポリの友人が伝えてくれたところによると、ナポリ中央駅の近くにはすでにシナ人街があり、わたしが見ていないだけだったと判明しました。あしからず。 尊敬する宮崎先生、 前前回の華人イタリア流入のレポートの裏付けのための資料を探していて、書棚にほとんど忘れていた一冊を見つけました。『海外華人百科全書』( 潘翎主編、三聯書店(香港)出版、1998)がそれです。灯台もと暗し、必要な情報がほとんど記載されていました。以下、該書より必要と思われる箇所を、次の二点に分けて抄訳紹介させて下さい。 1)イタリアにおける華人移民状況。2)主な移民供給源である温州について。 1)イタリアにおける華人移民状況について、コロラド大学博士課程研究生(当時)黄小莎執筆分の抄訳です。カッコ内は訳者のコメント。 20世紀に三次の華人移民潮あり。 第一次)1920/‐30年代―1972年。フランスよりミラノへ40人から50人、ほとんどが留学生、外交官、商人。60年代末には600人から700人、皮革業、餐館に従事。 第二次)1972年―1985年。8000人から9000人、フィレンツエ、ボローニャ、ローマへ拡大。皮革業、餐館に従事。 (以上、数字のみ、問題は以下の第三次なのでやや詳しく) 第三次)1986年より現在(1998年) その他の欧州華人社会と異なり、近来イタリアにおける華人移民は 浙江の貧窮した山岳地帯からではなく、豊かな温州平原からのものである。ほとんどが正規の手続きを経ず、船による密航による。以下の四つの要素が、不法移民の増長を促した。 1. 1986年の保障令( Act of Indemnity )すでに入境した不法移民の合法化の承認。更には、家族呼び寄せの権利を付与。 2. 1990年、政府はさらに上記権利に基付き、家族同居を理由とする不法移民を合法化する。この情報が伝わるや、フランス、イギリス、オランダの不法移民が陸続とイタリアへと流入し、上記の保障令により全て合法移民となる。 3. (前後するが、著者の文脈を尊重)1985年、経済協力、投資及び貿易環境を創り出すため伊中協議( Italian/China Treaty )が締結。 (当時イタリアのいかなる事情が斯くの如き政令を成さしめたるものか知らず、トンでもない政令ができたものです。著者は以上三点を列挙したのみで、第四点を挙げていません。あるいは編集者による削除か。以下、幾つかの統計数字を列挙) 公式資料によると、1986年以前、華人人口1500人。86年以後、9880人。1990年以降、19237人。93年末、22875人の合法華人が在住。 92年、合法華人移民の63%が男、25歳から44歳までが65%。(若い男に偏る、台湾への移民を髣髴させる「有唐山公、無唐山婆」) (中略) 華人移民の正確な数字はわからず、フィレンツエ地区だけの不法滞在華人に限っても、25000人と見られる(つまり、公式数字による合法滞在者全部とほぼ同じ不法滞在者数がフィレンツエ地区だけですでにあり。) お役所筋では、これら不法移民は密航組織の手配によるもの、またその支部はアメリカ、スペイン、オランダ、ドイツ及びフランスにあると見ている。200店以上の餐館、600以上の皮革工場がミラノにあり、密航組織の活動中心である。 若干の報告によると、不法移民はまず上海からモスクワに行き、フランス、ユーゴスラビア、アルバニアに移った後、ミラノ、フィレンツエ、プラートに潜入する。警察関係では、プーリア(アルバニアの対岸)のイタリア犯罪集団が密航組織と結託しており、船隻を供給しアルバニアからの密航を助けているものと見ている。密航料は、1500万から2000万リラ(当時)、即ち1万から1万三千米ドル。 (以下、主な各地の華人社会とその実態については全て略す) 2)主な移民供給源である温州について。Marlowe Hood(フランス『Libération』紙)執筆(フランス語からの中訳か?)からの抄訳です。 (前略) 温州は周囲を山に囲まれ、文化経済的に孤立状態にあり、温州語は呉語系統に属するが、自ずと一家を成し、その他の呉語を話す人々の理解するものではない。 (以下、いわゆる「温州モデル」といわれた経済改革中での温州の発展と国内移住、例として北京の「浙江村」についての記述など、全て略) 海外資金の流入で潤う温州 内部発表の公式統計によると、1995年末までに約24万人の温州人、6万人の青田人(温州の内陸地、青田石の産地として有名、この地に関する記述あるも、広い意味での温州と見なし、別途訳出せず)が海外へ流出居住する。 この数字は、政府発行のパスポートと出国ヴィザに基付く。ゆえに、実際の数字はこれを上回るものと見られる。海外の温州人は、国内戸籍700万人の5%ないし6%(即ち、35万人から42万人)と見られる。青田地区では、15%(国内戸籍数は提示されず)、幾つかの小さな村々では、50%以上が離郷出国している。 (中略) 約75%から80%の海外居住者は西欧、特にフランス、イタリア、オランダに集中している。(以下、19世紀から文革時に至る移民の歴史の記述、全て略) 80年代中期から末期に至り、欧州同盟各国は、深刻な失業問題に直面し、外国人労働者の入国を拒絶し始めたものの、移民の連鎖的激増を制止できず、近年来の(移民潮の)高峰にいたった。 (後略) 以上は、すでに十年近く前の状況及び資料、統計数字です。先生、あるいは読者の方で、『海外華人百科全書』新版、あるいは他の資料をお持ちでしたら、是非訂正ご教示願います。 現在、日本への華人合法入国居住者は40万人、不法入国者を含めれば100万人とするレポートを見た覚えがありますが、実際は如何?イタリアは対岸の火事ではない。 以上は昨夏の状況でした。 今年になり、ミラノで駐車違反をとりしまる警察の対応に不満があったとかでシナ人のデモがありました。(詳しくはアネモネさんの『東アジア黙示録』のリポート 「ミラノ支那人暴動の異様…中華街=ミニ国家の危険性」 http://dogma.at.webry.info/200704/article_13.html をご参照に。) そこから垣間見えたのは、増殖するシナ人に対するイタリア社会のストレスの増加と、シナ人流入の背後に中共政府の世界戦略があることです。デモの参加者が真新しいPRCの「国旗」を用意してあったことがそのことを物語っていました。 その問題については機会をみて考察を加えてみるつもりです。 人気blogランキングへ参加しました。よろしければ応援のクリックをお願いします。 |
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↑のコメント、メルマガでよみました。ふふふ |
nhatnhan625 2007/10/07 01:05 |
武閑老師、 |
マルコおいちゃん 2007/10/07 04:51 |
わたしの学生はたまたまそうだったのですが、 |
nhatnhan625 2007/10/07 11:05 |
武閑老師、 |
マルコおいちゃん 2007/10/07 16:19 |
アメリカにおけるM・ホンダ氏にあたる人だとかN・オオニシ氏のあたる人もイタリアにはいるのでしょうか。 |
nihonhanihon 2007/10/09 09:02 |
nihonhanihonさん、 |
マルコおいちゃん 2007/10/09 15:32 |
マルコおいちゃんさん、こんにちは。育児に追われて、久しぶりに訪問させて頂きましたら、ベトナムの話題でしたので、、私の少ない知識からですが、、trとchは、北部、南部人ともあまり区別していないように思います。Sは、北部、南部ともに「さ行」です。中部訛りは「しゃ行」になります。NGUYENは、グエンが正しいです。だけど、日本人には、何度聞いてもニュエンに聞こえるようです。日本人の耳はかなり訓練しないとこの音が聞き取れないようです。 |
3歳児の母 2007/10/11 15:13 |
3歳児の母さん、 |
マルコおいちゃん 2007/10/11 15:56 |
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