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前回、北京語と上海語の簡単な比較を試みた。ローマ字で書き表すとことなる言語であることがわかった。しかし文法構造上、同系統の言葉である、とも述べた。 同様のことをヨーロッパの言語で見てみよう。 「彼は深い水の中を泳いだ」という意味の文を以下に見てみよう。 英語 He swam in the deep water. ドイツ語 Er schwamm in dem tiefen Wasser. ザシシュッ(ニーダーザクセン語) He swamm in dat deepe Water. この比較は、『現代ヨーロッパの言語』(H.ハールマン(Harald Haarmann)著、田中克彦訳、岩波新書、1985)から、引用した。 英語はもちろん独立した言語であり、ドイツ語も同様である。しかしニーダーザクセン語というものは認定されておらず、ドイツ語の方言と認識されている。しかしごらんのように、英語とザシシュッとの表記はおどろくほど似通っている。ドイツ語の方言というよりは、英語の方言と見なすほうが、より自然ではないだろうか? これはアングロ・サクソンの源流の一つが、ニーダーザクセン地方であることにもよろう。そうサクソンとザクセンとは同義なのである。また現英国王室は、このニーダーザクセン地方の領主のハノーヴァー公が、継承者の絶えたスチュアート王室を継承するため請われて渡英したものである。 しかしながら、上記ハールマンによるとザシシュッを話す現地の人々の99%が、ザシシュッをドイツ語方言と自認している、ということだ。言語学的には、ドイツ語より独立した言語、と見なされているにもかかわらずである。 ハノーヴァー公宮廷 さて、では前回に比較にあげた上海語を話す人々は、自分たちをどう認識しているのであろう。第一次的には、上海人であろう。上海は元来、ちいさな漁村であったが、アヘン戦争の結果として、英国が揚子江流域を支配するためこの地に目をつけ租界をもうけ建設した港町である。それゆえもともと上海人という人種も民族も存在しない。 本来なら、言語的には蘇州語と近似しているので、春秋戦国時代からの地方名・呉にちなんで呉語を話す呉人というべきであろうか?呉の地方にふくまれる楊州人は、上海の下層労働をになう重要な上海人の一部である。しかし上海には、寧波や魯迅の故郷である紹興など呉の宿敵・越の国から流入した「越人」も多い。 「蘇州評弾」という、琵琶を奏でながら唄う日本の講談のような演芸がある。それは基本的には蘇州語で唄われるが、場合に応じて寧波語や紹興語も混ぜて用いられる。わたしは聞いてまったく理解できなかったが、その上海にある演芸場へ案内してくれた上海人の知り合いは、いちいちわかるらしく、あ、いまは寧波語、あ、また蘇州語にもどった、などと解説してくれたものである。 どうも上海の言語状況とは、そこに象徴的に現れているようなものなのである。 上海の歴史的経緯を述べるスペースはない。そのように付近のさまざまな言語を話す人々が、上海という特殊な経済的社会に引き寄せられ住み着き、上海人を成立させているのだ。 もし、中央政府が北京語を「普通語」(共通標準語)として強要しなければ、上海とその近郊地域は、上海語を共通言語とした国民国家を形成できるかもしれない。その人口的・経済的条件はあるし、上海人はその本音ではそれを望んでいるようにさえ見受けられる。 そして前回も述べたように上海語を完全に表記できる文字はない、のである。当て字された漢字を見ても何の意か完全に通じることもない。 さて上海語はシナ語なのであろうか?一応、呉語「方言」に含まれる、とされている。しかし文法構造が似ているだけでは同じ言語とはいえない。そのロジックでいえば、ヨーロッパの言語はすべてそうであるから、欧州各国語はすべて「ヨーロッパ語」の方言とみなさなければならないが、そんな荒唐無稽なことをいうものはいない。 上海語をシナ語につなぎとめているのは漢字である。すべてを漢字で表記できないにしても、漢字で記した上海語は、漢字が理解できるものには、おおよその意味がつかめる。 例えば、 「聞き取れませんでした、もう一度はなしてください」とは、上海語で、 Tein wack chin son, chin tsue gong ick pi. という風にローマ字であらわせる。これを漢字で書くと、 「聴勿清爽、請再講一遍。」となる。 ちなみに北京語(普通語)では、 Ting bu qingchu, qing zai shuo yi ci. 「聴不清楚,請再説一次。」である。 お分かりのように、耳で聞く、つまりローマ字で表記したような場合は、北京語しか理解できないものには、上海語は通じない。だが、漢字表記の場合は、音が消滅して漢字の表す意だけが浮かび上がってくるため、上海人以外にも、その言わんとするところのおおよそは理解できるのである。 表意文字としての漢字が、方言というよりも異国語に近い上海語と北京語の差異を覆い隠しているのがおわかりになるであろう。 この漢字こそがシナ語を維持する最大の力なのである。逆に言えば、漢字がなければ上海語どころか、いわゆるシナ語「方言」とされる言語の数だけ独立国が存在していなければならなかったろう。 もちろんそこにはチベット、モンゴル、ウイグルは除外してある。それらの言語と民族はもともとシナ語系統の言葉ではないし(チベット語は、シナ語とあわせて、シナ・チベット語族に属するとされているが)シナ人でもないから、民族独立という中共も掲げる麗しい理念にもとづけば、漢字がどうこうとは一切関係なく、シナによる占領以前(満洲人の占領をシナ人が引き継いだ、が正確であろうが)にもどって、とっくに独立していなければならない。それはこの「方言」の問題ではなく、政治問題以外のなにものでもない。![]() そして漢字自体も、秦の始皇帝の正書統一まで、字体もバラバラであったのである。この意味でも、秦による統一がシナを成立させた、ということが理解されるであろう。このことを、岡田英弘氏は以下のように述べられている。 「統一を果たしたあとの前219年、始皇帝は漢字の字体を統一して「篆書」を創りだした。(中略)古代に洛陽盆地を取り巻いていた「東夷・西戎・南蛮・北狄」は違うことばを話しており、戦国七国でも漢字の字体も読むことばも違っていた。共通語はまったく存在しなかったのを、始皇帝は強引に漢字の字体を一定にし、三千三百字だけを選んで読む音も各字一つに決めたのである。 この結果、一つ一つの漢字が意味するところと、それを表す音とが分離して、関係がなくなってしまった。これを秦以外の国の人から見れば、漢字を外国語で読むのと同じことになった。もとは各地方で読まれていたそれぞれの音に意味があったはずだが、こうして漢字の音は、意味を持ったことばではなく、その字の単なるラベルとなった。」 こうして漢字は、その制度の成立の時から、本来なら独立言語として発展の可能性のあった言語を「方言」として、シナ語という共同幻想の檻の中に閉じ込めることになったのである。その時に、シナというやっかいものもまた成立したのであった。 <続きは次回に> 人気blogランキングへ参加しました。よろしければ応援のクリックをお願いします。 |
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日比野庵 本館 2007/12/14 23:44 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
漢字を使う日本語もシナの一方言と認識されているのか? だが、断わる! |
ftkst 2007/12/08 15:43 |
しみじみと面白かったです。 |
★台湾おばば★ 2007/12/08 17:55 |
一方言と認識されてるでしょうね・・・ |
nhatnhan625 2007/12/08 22:50 |
お師匠、 |
マルコおいちゃん 2007/12/09 05:44 |
台湾姐さん、 |
マルコおいちゃん 2007/12/09 05:45 |
武閑老師、 |
マルコおいちゃん 2007/12/09 05:47 |
にほんでかんじとよばれているものはかんぞくのためのじではありません。にほんじんのためにつかっているのでじっしつは「にちじ」です。 |
にほんはにほん 2007/12/09 23:11 |
シナのかきことばをつかってはいても、やまとことばでよむということが、わたしたちのくふうでした。しかしもとおりのりながのように、やまとことばだけでかいてもかけないことはありませんが、よむときはかなりめんどうですね。 |
マルコおいちゃん 2007/12/10 03:27 |
よむときにめんどうですね。 |
にほんはにほん 2007/12/10 09:17 |
そうですね。こまったことです。こっちではじぶんのものとおもっていても、つまりはむこうのものですからね。 |
マルコおいちゃん 2007/12/10 16:23 |
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