丸幸亭老人のシナにつける薬

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zoom RSS 【シナの変容】 シナの宗教性と民衆叛乱

<<   作成日時 : 2008/04/03 00:36   >>

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ケ小平のいわゆる「経済改革」路線とは、共産党の指導を堅持しながら資本主義を導入することであった。人民の物欲の開放は、その政策をささえる大動力となって、うますぎるほどに機能してきた。とくに都市部での見かけの上だけの成功でも外国人とシナ人自身もあざむくのに十分なようにも見える。



またその物欲の追求の自由の公認は、シナ文明のマテリアリズムともよく適合しシナ人たちにはとくに歓迎されているようだ。このこともケ小平の読みのうちにあったと思われる。「安定発展」とは、そのシナ民衆の下支えあってのものである。



しかしシナ人とはいえ物欲だけで生きているのではない。そして物欲はあってもその発露を得ぬものたちは、その欲望をなにか他のものに求めるか昇華するしかない



それはシナだけではなく他の社会でも普通に見られる人間的営為ではあろう。しかし思い出してほしいのは、シナにおける問題はほとんどすべてが量に還元できる、ということだ。物欲の全的開放によるカオスも、また発露をはばまれ捻じ曲がって表出される物欲も、言い訳としての清貧さも、シナにおいてはその量が桁外れに大きいのである



そして歴史的には宗教が抑圧され虐げられ他人々と逃げ場となってきたのも、また世界共通の出来事であった。シナにおいてもまたそうである。


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さて、シナ人と一口に言ってもシナ文明成立以後だけにかぎっても、その文明の担い手であるシナ人は二度変容を遂げている。



1.秦漢から三国時代の漢人(オリジナル・漢・チャイニーズ)は戦乱で三分の一に激減、そこへ匈奴や鮮卑などのいわゆる五胡が移住。

2.北魏を絶頂として栄えた鮮卑人王朝の流れをひく隋唐王朝の、漢人と北シナ騎馬民族とが混合してできあがった第二シナ人。これを唐人とよぶ。

3.ユーラシア全体を統治し世界帝国をつくりあげたモンゴル人がシナ亜大陸に成立さた元朝。その王朝下で奴隷として逼塞しながらもやがて自分たちの王朝・明をたてシナ人。これを明人とよぼう。それ以来の現代に及ぶ明人と周辺「蛮夷」民族との混交により成立したのが現代シナ人である。



これらについては、あらたに別稿をたてて述べたいと思うが、3.で成立したシナ人・明人は現代に色濃く残る絶対皇帝制度をつくりあげたことにより、人民の奴隷根性も深め、後の満州族の統治をも容易にするのに「功があった」。



その奴隷たちも現実世界の圧制と経済的困窮に耐えかねたときには造反し王朝をくつがえすことになる。その我慢の限度にいたるまでは、宗教による現実逃避しか道はなかったはずである。そのため宗教が民衆にひろく行きわたり、それゆえ造反も宗教結社の叛乱という形をとることが多かった。



ここにもシェルドレークの云う「形の共鳴」を見ることができる。



これについても、あらたに別稿をたてて見たいと思う。遠くは及ばずとも近いところだけで見ても、清末の太平天国の乱がまっさきに上げられよう。それは天主教(カソリック)を変形させたカルトであったが、広東に乱を発するや南シナを席巻し南京を占領しそこを首都として「国」を建てるまでになった。しかしそれは、清側のその名のとおりの南京大虐殺をもって終息した。




毛沢東の革命も「共産主義」という新興宗教を奉じる宗教叛乱であった、と見てもよい。まだそんな説は見たこともないのでわたしがその嚆矢となろうか?(これについても機会を見て詳述したい。)


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民衆の共産党への支持が弱まるにつけ中共は、「共産主義とマルクス主義への信仰を保持せよ」との思想宣伝を繰り返したこともその証明となる。そうなのだ、それはあくまでも信仰なのであった。それゆえ他の信仰が禁ぜられたこと当然なのである



そのシナ的なパラダイムのなかでは、共産主義という天国への道を伝道する教会組織が共産党であり、毛沢東はさしずめ預言者である。あるいは「救いの星」として期待された毛は、観音あるいは如来としてシナ民衆(とくに農民)には受け止められていたにちがいないのだ。



そのような現世救済を待ちわびるのが、シナ民衆の宗教性なのである。


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そしていま、またかってくり返された「形の共鳴」がまた準備されているようである。



農村の「見えないシナ人」の間でにしずかにひろがるキリスト教の布教。これはもっぱら米国の主導によるものであろう。わたしのシナ遊学時代に知り合った米国人「留学生」は、ある宗教組織が送り込んだミッショナリーであった。彼らはあれから20数年、様ような名義でシナにとどまりひそかに布教を続けている。



そういった状況があるゆえ、出遅れたローマン・カソリックによる中共政権への妥協政策があるのであろう。



大悲寺への共感と少林寺への反感も民衆レベルの本音ではないか?



またみなさんがよくご存知の法輪功がある。中共から光栄にも「邪教」と名づけられるほど、その浸透力と影響力の強さ深さがうかがえる。中共が最も恐れているのが彼らであろう。



わたしが、すでに「サルは芋を洗い始めた」と述べたのは、まさにこれらの点なのである。



いわゆる「経済発展」から取り残され困窮化を深めるシナの農民と一部の都市住民は、「形の共鳴」の仮説どおり、またもや宗教叛乱から王朝打倒へと奔るのであろうか?



しかしわたしはそうはならないことを信じたい。造反から革命へ、新王朝設立へと、「形の共鳴」をくりかえしても、シナはまた同じ悲喜劇をくり返すだけであろうから。わたしは、別のシナでないシナを夢想する。




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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
 ちょっと屁理屈を。
 前回の記事の土台となっているユングの思想から見ると(まぁ浅はかな理解なんですが)、私は、中国の人々には“シャドウ”の拒絶という感覚が強くあるように思います。先生には釈迦に説法のようになりますが、あれだけ混沌とした社会にありながら、どういう訳か人間の邪悪な側面を受け入れて人間として成熟していくという一種の成長過程が中国の社会の中にはあまり見られません。勧善懲悪を好む単純な人たちです。まぁ、シャドウにのみ込まれている人間はたくさんいるようですが。(すみません。下に続けます。)
ddzggcd
2008/04/03 21:00
 毒餃子事件やチベット人の抵抗運動に対する中共政府の反応は、正にこの“シャドウ”の拒絶そのもので、人間や社会に対する深い洞察に基づいた“大人”の反応とはとても思えません。人間やその他の生き物に対する“憐れみ”、己の邪悪さに対する“羞恥心”、それを踏まえた倫理的な物言いや立ち居振る舞い、といった精神の在り方を中国の人々はいったいどこに捨ててきてしまったのでしょうか。
 これまで多くの中国人に接してきましたが、言葉は悪いですが彼らの大半は“子供”です。その前に“小賢しい”と付けた方がいいような。私には毛沢東とはシャドウを拒絶し、それ故にシャドウにのみ込まれてしまった人間に見えます。
ddzggcd
2008/04/03 21:00
仙人で始めてコメントしました。続けて読みましたが「別のシナ」とは?と興味が深まり次回のアップが待ち遠しいです。ほとんどのブログでは宗教にふれられていませんが今の日本の危機的状況は戦後の神道の否定、仏教の軽視から来ている精神の問題と思えてなりません。
簡単にカルト宗教に騙されるのも一家心中等多くの普通の人の事件の殺害手段が刺殺というのも一昔前の日本なら考えられなかったように思います。
ろん
2008/04/03 21:46
ddzggcdさん、
ご指摘の点、いちいちもっともだと思います。シナ社会が近代化できないのもその心理的幼児性にあるのでしょう。「シャドウを拒絶し、それ故にシャドウにのみ込まれてしまった人間」という的確なご指摘にはすなおにうなずいてしまいます。われわれが出会う大方のシナ人はまさにそのようであるからです。

がしかし、それは宗教性により回復可能ではないか、とも思います。ここでもまた「量」が問題になると思われますが、イモ洗いをつづけるサルがある一定の量に達したときには、サルたちも一斉にイモ洗いを始める、その日が来ることを期待するばかりです。
丸幸亭
2008/04/03 23:07
ろんさん、
日本の知識人は、宗教嫌いですからね。井筒俊彦という図抜けた宗教学者がいたにもかかわらず、みなさん宗教に無知なので困り者です。どうも信仰するものは無知だから、またはマルクスのいう「アヘンとしての宗教」という概念にあいもかわらず呪縛されているのでしょうか?
中沢新一氏の影響により一時宗教ブームが起こりましたが、それもオーム事件で水を差された格好です。ご指摘のように宗教性、霊性の重要さに気付くべき時が来ていると考えます。
丸幸亭
2008/04/03 23:19
小生は中国には一回出張のみ。商取引でしか中国人を直接はしりませんが丸幸亭先生のご解説は納得できるのが多く為になります。多謝。共産主義は新興宗教指摘にも同感。別に論文を書く立場でもないから公表はしませんが当方も以前から同じ考えでした。40年前 某(マルクス本場?)大学(専門課程)でマルクス経済学を学ぼうとしたが2週間で幻滅して勉強を放棄。その宗教性(学問としても科学性はほとんどなし)はよく分かります。
btoshi
2008/04/04 14:18
btoshiさん、
いらっしゃいまし。ご同意ありがとうございます。
マルクス教の福音を伝える伝道師のふりをした毛がひきいたカルト集団が国盗りに成功し、お経の効力が落ちると、シナの原点「中国病」を伝染させ教会の権力を維持する、なんとグロテスクなありさまでしょう。
しかし民衆の我慢にも限度があり、その臨界点に近づきつつあるようです。なんとか新たな道を歩んでほしいと願うばかりです。
丸幸亭
2008/04/04 16:04
しかし中国が貴殿の望むような変容をした場合、わが国は最終的に平和的に中国に吸収されてしまうのではないですか?
徒然亭草若
2008/04/05 01:37
徒然亭草若さん、
いらっしゃいまし。
まあそう結論を急がずに。
わたしが考えているのは、実は貴君が指摘されたこととちょうど反対の事態なのですが・・・

しかし、結論にいたるまでは、いましばらくエントリーを重ねる必要があるのです。
丸幸亭
2008/04/05 06:26

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