丸幸亭老人のシナにつける薬

アクセスカウンタ

zoom RSS 習近平を近距離観察

<<   作成日時 : 2009/06/09 17:18   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

再録ついでに昨年8月にイザにエントリーした<習近平を近距離観察 >シリーズも再録しておくことにします。



昨年の中共十七全大会で、コキントウの後継者になりあがった習近平についてはナゾが多く、やれ「上海閥」だの、「太子党」だのととりざたされています。

「上海閥」とは、とんでもない勘違いに違いありませんが、「太子党」とはその定義にもよりますが、かなり近い線であることは肯定してもいいでしょう。


香港の月刊誌『開放』の編集長である金鐘氏が、同誌八月号に「習近平を近距離観察する」という一文を載せています。内容的に興味深いので、その簡略を紹介したいと思います。




画像

国家副主席として本年七月初旬香港訪問のため飛行場へ到着した習近平をむかえる香港特別区行政長官・曾蔭權



その前に、習近平の「太子党」としての政治資本である、その父・習仲についての基礎知識が必要ですので概略しておきましょう。



習仲(1913年10月15日−2002年5月24日)

陝西省富平県出身

1928、入党

1930、西安事件の主要人物・楊虎城の部隊へ党から派遣され工作に当たる。

1934、陝甘(陝西、甘粛)辺区ソヴィエト政府主席

1935、王明路線執行者により逮捕監禁されるも、「長征」を経て到着した毛沢東指導部により名誉回復、「開放」さる。

1945、毛沢東の権威が確立された七全大会で党中央委員候補、中央組織部副部長に任ぜられる。また「抗日」戦争終了後には、中共中央西北局書記、西北野戦軍副政治委員。

1949、建国後、中央人民政府委員,中国人民革命軍事委員会委員,中共中央西北局第二書記,西北軍政委員会副主席、代主席,西北行政委員会副主席,第一野戦軍暨西北軍区政治委員,などを歴任し党、政、軍の全面にわたり工作。

1953、政務院、国務院秘書長

1959、国務院副総理兼秘書長

1962、文革前夜早くも批判され、十六年前後にわたり収監さる。

1978、復活。広東省第二書記、第一書記,広東省省長,広州軍区第一政委、党委第一書記。十一期三中全会にて中央委員に再任。

1981、中央書記処書記

1982、中央政治局委員となり中央書記処責任者となる

1988、第七次全人代にて常務委員会副委員長

2002、死去。




画像

                     習近平(左)、遠平(中)、仲(右)、1958年





ご覧のように、習仲は陝西に生まれ、若くしてその地の党責任者となり、シナ南部から逃げ込んできた毛沢東らを迎え、毛にその若さにもにあわぬ能力を絶賛され毛派として中央入りし、工作上周恩来との関係も深く、文革で迫害をうけたあと復活してからは、いわゆる「改革派」として広東省の開発につとめ胡耀邦を強力にサポートしました。


1987年、胡耀邦が元老たちにより引き下ろされる際には、一人憤然と立って強烈に反対したことで有名です。彼は清廉潔白さと、この胡耀邦にたいする不公平な待遇に断固反対をとなえたことで晩節を全うしました。(ついでにのべれば、胡耀邦失脚の際、「不公平だ」と声を上げたものがもう一人いました。胡耀邦の指導を受けた若き胡キントウその人でした。)


それゆえ、シナ人民の間での評判はきわめて良い方に数えることができるでしょう。


息子である習近平のことを考察するさい、この父の影響と政治的背景を忘れることはできません。




人気blogランキングへ参加しました。よろしければ応援のクリックをお願いします。
画像




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
習近平を近距離観察  丸幸亭老人のシナにつける薬/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる