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zoom RSS 習近平、基層から這い上がる

<<   作成日時 : 2009/08/21 19:23   >>

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1982年、習近平が中央軍事委員会を辞して田舎の書記からたたき上げた、その経歴を概観してみましょう。

1982―1983年 河北省正定県委副書記

1983―1985年 河北省正定県委書記

1985―1988年 福建省厦門市委常委、副市長

1988―1990年 福建省寧徳地委書記

1990―1993年 福建省福州市委書記、市人大常委会主任

1993―1995年 福建省委常委,福州市委書記、市人大常委会主任

1995―1996年 福建省委副書記,福州市委書記、市人大常委会主任

1996―1999年 福建省委副書記

1999―2000年 福建省委副書記、代省長

2000―2002年 福建省委副初期、省長

2002―2002年 浙江省委副書記、代省長

2002―2003年 浙江省委書記,代省長

2003―2007年 浙江省委書記、省人大常委会主任

2007―2007年 上海市委書記

2007―2008年 中央政治局常委、中央書記処書記,中央党校校長

2008― 中央政治局常委、中央書記処書記,中華人民共和国副主席,中央党校校長



注、シナ語でいう「書記」は、党の日常業務をとりしきる責任者です。

地方たたき上げの出発点となった、河北省正定県とは石家庄近郊20キロあまりの田舎町です。北京からそう遠くはありません。そこで三年間勤めある程度の成績をあげると、いきなり福建省の重要都市・厦門市に転任となり、その後はとんとん拍子に出世の階段を登りました。

そして、2007年、収賄により解任された江沢民派の陳良宇にかわって上海市委書記に任命されました。

その一件は、胡錦涛派による江沢民とその一党に対してしかけた権力闘争でしたから、陳の後釜に江沢民派の人物をそえるはずもなく、ここからも近平「上海閥」という説がいかに荒唐無稽なものかがわかります。ただ、妥協のために江派にも受け入れられる人選だったことは確かでしょう。実は、そのように誰からも受け入れられるということも、また近平の強みでもあるのです

その年の秋に開催された十七全大会で、胡錦涛の後継者の地位に上り詰め、今年の全人大では国家副主席に「当選」しました。その出世のスピードにはまるで加速がついたようです。

次の一歩が、中央軍事委員会の副主席となれば後継体制完了ということです。


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この間の、党官僚としての習近平の処世術に関してはのちほど述べようと思いますが、このような経歴がわれわれに示しているのは、ちょうどある会社のオーナー社長一族の御曹司が、地方支社や工場からたたき上げて本社へ戻り、経営トップに座った、という風なストーリーそのものではないでしょうか?


やはり前回述べたような後継者を養成するシステムの存在を疑うことはできないでしょう。ただ、そのシステムをうまく乗り切れるかどうかは、やはりその者の実力しだいということです。


近平同様に、父がかって国家指導者で、また同じように地方からたたき上げるコースにみずから志願して入って行ったものの、途中でそのコースからドロップ・アウトしてしまった者もいます。「文革」前の国家主席・劉少奇の息子・劉源です。

その経緯の裏には実に興味深いシナ的エートスが作用しているのですが、それについてはまた次回に。



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