『中国食人史』8、人肉市場

黄先生によれば食人が最も栄えたのは唐代であり、それ以前には人肉市場の記述が史書には見えないので、人肉市場の発生も唐代であろうと推測されています。

人肉市場の発生がなぜ重要化といえば、すなわち食人が異常事態時の特殊な現象ではなく、すでに日常化、普遍化、商品化したことを示しているからに他なりません。

しかもその市場価格が、以下で述べるように犬の肉よりも廉いということは、仕入れ・入手が容易であるという、まさに市場経済の原則にのっとっていることにあります。


長安城中、斗米が三十緡(銭指の紐、すなわち貫、一貫は千文)。賊が官軍から軍糧としての人を買いとった。官軍は山塞にこもった民をとらえて売った、人(一体)数百緡、(但し)肥痩で値を決める」と。(『資治通鑑』唐紀)


これは唐中和二年(882年)の首都長安の市場価格だそうです。米一斗(十升)とは容量の単位ですので人一人の値段とは比較がし難いですが、米一升が約1.5キロとすれば、キロ当たりは二千文。斤(600グラム)にすれば1200文。


人一体が約60キロとすると100斤。一斤あたり「数」貫。この「数」が曲者なので幅があるとしても、数千文になり米よりは高いようです。(黄先生は米より廉いと計算されていますが)


しかし、年が降って天復二年(902年)の地方都市・鳳翔でのこと。

市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」と。(『資治通鑑』唐紀)


首都と地方の違いはあるにせよ、犬肉の実に五分之一の市場価格とは驚かされます。あいにく米価との比較がありませんが、かなりの暴落な様子です。人肉供給が増加し値が下がったのでしょうか?


また人肉市場が存在した例として、『新唐書』列女伝には、以下のような「美談」があります。


周迪という行商人が行商の道中に畢師鈬の叛乱にであった。

人は互いに捕まえあい、市に売られ、食われた。周迪も乱にまきこまれ餓死しそうになった。同行していた妻が彼に言った。『こうなったら、二人で故郷に帰るはなりません。あなたの両親は健在なのですから、私を売って帰国の費用にしてください。』周迪は忍びなかったが、妻はむりやり夫を市場につれていって自らを数千文で売った。周は旅費を得て城門を出ようとすると、守備兵が不審に思って入手先を詰問したので市場に戻ってみると、妻の首がもう「枅」(商品見本棚)に掛かっていた」と。


これはあくまでも美談として読まれるべきものなのですが、ここでは数千文という値段に注目しておきましょう。かなり値下がりしているようです。(実に一体の値が以前の一斤の値段の水準に等しい。)


さらに明清時代に降ると。


前回登場し、太平天国を屠殺した曽国藩の日記に拠れば、そのころの「江蘇地方では人肉一斤九十文。しかし太平天国の乱の影響で一斤百三十文に値上がった」そうです。


そこから人肉の価格の暴落と需要供給により上下する市場価格が成立していたことがわかります。


このシリーズもちょうど8回目となり、ひとまず最終回とします。『中国食人史』には【動機】、【文化】という項目があり、黄先生はまとめとしての考察をなさっておられるのですが、それは後にまた触れることにしたいとおもいます。

この後は、ロード・マップにおいて述べておいたとおり、我々の住む時代に程近い「大躍進」と「文革」時の食人について述べ、それからゆっくりと食人文化の文明的構造の考察に入って行くつもりです。


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上海で流行の「狗肉火鍋」(犬肉鍋)。かっては香港がメッカであったが、いまや金融「市場」とともに上海に移転か?



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この記事へのコメント

★台湾おばば★
2007年10月27日 07:28
いやはや、奥が深すぎます・・・。
マルコおいちゃん
2007年10月29日 05:29
★台湾おばば★さん、
「大躍進」と「文革」時の食人についての考察になかなか入れませんが、どうか気長にお待ちください。
李白酒一斗詩百篇
2009年08月06日 19:28
唐代の「斗」「升」「斤」は、現代の日本のものよりもずっと小さいはずなので、上記の計算では誤るのではないでしょうか?

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