シナ文明の構造から生まれる「シナという病」

シナ文明の弱点をえぐることをこの小さなブログのテーマとしています。
ここでは大室幹雄氏の『劇場都市』シリーズを解説紹介しようと思います。
劇場都市』は単行本(三省堂、1981年)も文庫(ちくま文庫、1994年)も、いまや手に入りにくい状況なので、若い読者の皆様へのシナ文明理解への手助けになればと希望するからです。

今回はまず、大室氏が序章の部分で描き出す、歴史的な図式を紹介します。

1)われわれが現在ふつうに中国と呼んでいる広大な亜大陸は歴史の当初から「中国」ではなかったこと、
2)この亜大陸は紀元一千年紀の初頭あるいはそれ以前から歴史的に徐々にシナ化 sinicize されてきたこと、
3)そのさいシナ化 sinicization を行ったのは漢・チャイニーズ Han-Chinese のグループであり、
4)シナ化は黄河流域のいわゆる中原地方から南および南西、南東の方向へむかって展開されたこと、
5)シナ化とはこれらの南方地域の漢・シナ人の植民地化 colonization  の過程にほかならず、
6)それは具象的には城壁都市の建設によって表現され、ゆえに
7)シナ化とは端的に都市化 urbanization であったこと、である。


いかがでしょう、実に明解じゃあありませんか?
つまりシナ文明とは、シナ化と都市化と植民地化との三位一体の歴史現象なのです。


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                    西安に残る城壁



もうおわかりでしょう。すなわち、シナ人ははっきりと二種類に分類できます。文明を担う都市の人間と、それに奉仕する奴隷としての農民です。

シナの農民は、古代から現在に至るまで、この都市文明に奉仕する奴隷としての地位から逃れ出たことがなく、いまもその歴史状況の継続のなかで呻吟しているのです。

シナ化と都市化と植民地化との三位一体の歴史現象としてのシナ文明について、もう少しみてみましょう。シナ文明が北から南へと発展するその大地は、無人の荒野だったわけではなく、漢・チャイニーズに属さない諸民族が先住していたわけです。(以下、青色は引用、ゴシックは引用者による、以後同様)

彼らに共通していたのは彼らがそろって城壁都市を築かなかったことなのであった。だからこそ中国における都市建設の歴史は北方から侵入してきた漢・チャイニーズが先住の異民族を現住地から駆逐あるいは征服し同化していった過程を意味する。それは三十数世紀もの過去から現在に至るまで連綿と継続進行している(後略)


こういう民族移動の政治的、経済的、技術的な局面にはむろん漢・チャイニーズの文化の伝播がともなったのであり、城壁都市の建設はとりもなおさずその標識なのであった。


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             山間の「少数民族」部落、城壁はない。




この漢・シナ人の大移動は大きく見て四回にわたりました。


第一次と第二次)、
西晉末期、三世紀から五世紀にかけて、この結果北方は騎馬民族支配する地と化し、漢・シナ人とちがう新たなシナ人が登場。

第三次)、
金・モンゴルの北征服による宋王朝の南への退去にともない、またその余波として十二世紀以後に。

第四次)、
日中戦争時に。

そして、1950年のチベット征服併合に象徴されるような共産革命後の「漢族」の居住地拡大から現在の海外移民潮を含めて、今現在第五次の大移動が進行中といえるでしょう

我々が今直面しているのは、そのような歴史現象なのです。


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                     広州駅前の盲流


シナ人の大移動は北から南へと行われたのは歴史的事実ですが、例外ももちろんあります。満洲です。

大室氏は、台湾外省人の碩学、李済を引用して次のように記しています。

すべての東アジアの民族とちがって、最初期の漢・シナ人はもっとも活動的な城壁建設者であった」、万里の長城はその象徴であるが、「本来の中国で、どこであれ都市の城壁が見出されれば、それはすでに漢・シナ人が定住状態に現にあることを示している。(後略)」


この稿は、『劇場都市』の序章、「都市がなぜ問題になるか」をうろうろしているわけですが、その城壁建設についてはまた別稿で述べるとして、ここではとりあえず万里の長城に注目してください。


それは、北方の異民族に対して国境防禦線として、シナ人自らが築いたものであること明白です。

それより以北は塞外の地、「中国」以外の地、彼らの華夷秩序によれば「北狄」にあたるわけです。

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さて、満洲はいずこにありやと地図を眺めれば、これはもちろん長城の北にあること明白です。そこは満洲人の故郷であって漢・シナ人にとっては敵地、外国に他なりません。


その地を「わが国固有の領土、東北地方」などとは歴史捏造以外の何ものでもないのです。

清朝時代、シナ人は満洲人の奴隷として雌伏していたわけですが、その清を倒して中華民国を建国した途端、満洲がシナ固有の領土となってしまったわけです。
これを他の例に喩えれば、アメリカ合衆国が大英帝国から独立した途端、英国はアメリカの固有の領土であると主張するようなものです。あるいは、韓国が日本は韓国の固有の領土であると主張する(もっともこっちのほうはありうるハナシですが)に似ていませんか。

ここにも、シナ文明のシナ化、植民地化、都市化の三位一体による拡大の形を見ることができますね。

ついでに、シナ人の言い訳を書いておけば、「満洲族」は、中国の少数民族であり、「中華民族大家族」の一員である、だから満洲は「中国」(わが国)固有の領土である、とこうなるわけです。

この屁理屈でいえば、「大和族」も「中華民族大家族」の一員である、だから日本「地方」も「中国」(わが国)固有の領土である、だって漢字使ってるじゃあないか、と侵略にくること大いに可能じゃあありませんか。いま、シナ人が台湾にしかけている侵略の野望の理屈とおなじです。

PS.
この満洲へのシナ人の移民は、シナの内戦時代、満州国の治安のよさと暮らしやすさを求めて大規模に行われたのですから、第四次の大移動に含まれる、としておきましょう。



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この記事へのコメント

scopedog
2007年09月26日 15:47
簡潔にまとまっていて素晴らしいですね。
でも、加害妄想からなのか思考停止している人にはなかなか伝わらなくて悩んじゃいます。
思想工作恐るべしです。
マルコおいちゃん
2007年09月26日 15:59
scopedogさん、
GHQの洗脳工作に加えての中共の思想工作、日本は二重の思想的桎梏のなかで「平和」の夢を見ながら惰眠をむさぼりつつ窒息死してゆくのでしょうか・・・?

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