シナの世界観の淵源

人が茫漠たる大地に立ち、果てしもない地平を日々ながめ暮らしながら抱く世界観とは、どんなものでしょうか?


其の一例がシナの世界観であろうと思われます。


とくに一望千里のみわたす限り黄色い土だけの黄土平原で誕生した、シナ文明を形成したグループの抱く世界観は、丸い天球と、その果てにつながる大地によって規定されるのが容易に想像されます。


これについて、大室幹雄氏の『劇場都市』では以下のようにふれています。



人間は世界の中で自分が占める位置を核として世界を構想する。人間が意識として世界に相対立し、それによって世界と人間とを分割し、さらに両者を新たな統合へと導いていくとき、それは自覚的に論理化された世界像となる。



すこし抽象的で難解かもしれませんが、もうすこしお付き合いを。



こういう世界像を有する民族は都市の形成に当たって彼らの都市を高く厚い城壁によって囲繞する。彼らは世界から分離して孤立している自分たちの位置、コスモスから分断された自分たちの意識が保護も隠蔽もなしに自然のうちに遺棄されていることを知っているからである。




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楼蘭の古城



ぽつんと砂漠に等しいような土地になげだされた生をいきるしかない人々は、世界をまず城壁で区切り、その内部を自分に親密な世界として定位するわけです。

そしてその内部世界がおのずと自己中心であり、そこを中心に世界がある、と認識するようになるでしょう。

それこそ「中華」のオリジンではないでしょうか。



そして城壁の外部は、すでにして敵であり、征服さるべきフロンテイアとしても理解されるでしょう。

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まるい天は変えようもなくそこにあるとしても、限りない土地も、そのように城壁で区切りながら征服してゆけばいいのです。



ごく簡単に述べてしまえば、シナの世界観の原風景とは、そういうものではなうかということです。


シナ・イデオロギーを特徴づける世界観といえば、華夷秩序ですが、その拠ってきたるところを検討してみましょう。



華夷秩序とは、簡単にいえば、世界の中心に中華(中心文明)があり、その周りを蛮族が囲んでおり、それは文明と野蛮の対立項でもあるということです。



文明である中華は、周辺の蛮族を感化し中華世界に組み入れ、そして中華文明をついには世界の果てまで及ぼす、それを神聖な義務とさえ考える、それすなわちシナ・イデオロギーの中心「思想」でもあります。


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なぜそうなのか?



それは「王」から説明するのがよいでしょう。


天と地と人は、シナ人の世界像を組み立てている三要素です。



天の時、地の利、人の和」、とはよくいわれる慣用句ですね。それに順う者は栄え、それに逆する者は滅びる、と。孟子は、「天時不如地利,地利不如人和」と「人の和」を最重要とみなしていますが、しかし王者とは元来それらすべてを統べる者であるわけです。



その天地人を貫いて立つのが「王」という漢字のなりたちです。



三本の横棒が「天地人」それを縦の中心線が貫いています。それは図像学(イコノロジー)的な象徴で、王というものが宇宙軸であり、政治道徳的支配者を意とするばかりではなく、世界に還流する生命そのものであるような存在であることを表し、または希求しているのです。



劇場都市』では、この部分について、前漢の儒者・董仲舒の見解を紹介した後、以下のように述べられています。



董仲舒のイメージにあって王者は宇宙軸あるいは生命の樹それ自体だったのである。したがって「ただ天子のみ命を天に受け、天下は命を天子に受ける」と彼がいうとき、この「命」は政治的ないしは道徳的な支配の根源に限定されるのではなく、字義どおりに世界に還流する生命力そのものなのだった。



かくして、王者は世界の中心に立ち、世界の秩序を経営する、そうあらねばならぬという世界観が成立します。



よって、その世界の中心である王がすむ王宮を中心に都市を造り、国を治め、同心円的に広がる天の下のすべての土地に王の感化を及ぼすという、この世界観は、「中華」をその国名にいただくPRCにもそのまま受け継がれている、と見ることが必要です。


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この世界観を受け入れ、みずから「小中華」と称する半島人には、中華の本家本元にたいする風下意識は抜けがたく存在し、その国家観、世界秩序の大本になっているのは間違いありません。


より中華に近くその文明をうけいれた半島地域は、その文明とはちがう文明を有する日本にたいし、常に優越感をもち、野蛮な国と軽侮する、それすなわち華夷秩序に基付く世界観にほかなりません。


いま現代世界をみわたして、シナ・イデオロギーによる華夷秩序世界観を有する国は、PRC,南北コリア、この三国だけです。ここに、いわゆる特亜の根深い反日意識の源泉があると思われます。


ゆえに、日本がいくら謝罪したところで、その反日・侮日意識は改まるはずはないのは自明の理というべきでしょう。




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この記事へのコメント

ktry
2007年10月11日 10:18
マルコおいちゃん 様

たまに拝読させていただいております。
上記のような世界観とは、アルカイックな神権政治社会(古代エジプトとか、バビロニアとか)では当然のものですが、それを21世紀の現在まで引きずっているのがシナの奇矯さでしょうか。
マルコおいちゃん
2007年10月11日 16:02
ktryさん、
ようこそ、いらっしゃいまし。
ご指摘のとおりです。他の古代文明は滅亡しましたが、シナ文明は生き残り、その古代性をポスト・モダンの西欧文明主流の世界で大いに発揮してくれるのでこっちは面食らうわけです。
神谷晃良
2007年10月12日 00:30
マルコ先生、凄いですね。ランキング36位でっせ。今日の私は、『東アジア黙示録』帰りです。一杯書いて来ました。あのブログを塩漬け状態にはしたくない。誰かが少しでも書き足して、更新させたいです。シナを考える上でこのブログで教わった事を役立てたいと思っていますが、所詮は付け焼刃。中々旨くは書けません。又来ます。もう寝ます。おやすみなさい。
マルコおいちゃん
2007年10月12日 15:45
神谷晃良さん、
へえ、そうだったんですか?またさがってますね。
アネモネさんもお仕事でお忙しいのですから、あまりプレッシャーおかけにならないようお願いします。

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