イデオロギーとは無縁の権力闘争(誤解されつづける周恩来16)

魯迅の有名な詩に「柔石を悼む」と通称されるものがあります。
煩雑になるので訳文だけを紹介します。『魯迅詩話』(高田淳、中公新書、昭46年)から引用します。一部読解困難と思われる漢字をひらがなに訂正します。


長夜に慣れて 春時を過ごし
婦をたずさえ雛(こ)をとりて 鬢に糸あり
夢裡に依稀(おぼろ)たり 慈母の涙
城頭に変幻す 大王の旗
まのあたり朋輩の新鬼となるを看(み)
怒りて刀辺に向かいて 小詩をもとむ
吟じおわり眉をたれて 写す処なし
月光水の如く 緇衣(僧侶の黒い衣)を照らす



この詩は、武田泰淳の代表作・『風媒花』のなかでも効果的に使用されますし、また泰淳和尚自身が「文革」真っ盛りの時、北京をおとずれ故宮かどこかの訪問簿にこの詩の一節、「城頭に変幻す 大王の旗」(街の城壁上にうつろう権力者の旗)すなわち「文革」とは権力闘争ではないかという正しい指摘を記したため、少しく騒動がもちあがったことでも有名です。



この詩は魯迅の弟子ともいうべき柔石(柔らかい石、老荘的なペンネームです)という若い作家が国民党により逮捕処刑されて二年後に書かれた「忘却のための記念」という文章に収められました。




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                 ほとんど唯一の柔石の写真


詩には、圧政の中うかうかとすごした自らへの悔恨、殺された友人への哀悼、殺した者への怒り、そしてなすすべもない無力感が記されています。



このシナ近代文学史上「左連五烈士の殉難」とよばれる出来事は、実は中共の党内権力掌握にからんだ出来事だったのです。



「国際派」に激しく反対するいわば「土着派」は王明らの党中央に対して中共江蘇省委員会(実質第二党中央)をあらたに作り上げました。それを壊滅させるため「国際派」が国民党に密告して逮捕させたものだと言われています。党内闘争に敵を利用したわけです



柔石もその時逮捕された者の一人でした。その際、魯迅の翻訳書出版の契約書を所持していたため魯迅にも危害が及ぶと思われ、魯迅は一時身を隠したほどでした。



おそらくそんな党内事情を知っていた魯迅は「移り変わる権力者の旗印」と書いています。とするとその怒りは国民党だけではなく共産党にも向けられていたといわねばなりません


仲間であるべき「同志」たちを敵に売るという卑劣な行為をしてまで「国際派」は党内権力を握りたかったのです。しかしシナといわずすべての共産党はそうであったというべきでしょうか?


また権力闘争はイデオロギーとは関係なく行われる、という見本でもありました。


時間を少しだけ巻き戻しましょう。



コミンテルンが子飼いの「国際派」をもってCCPを牛耳るにあたって激しく非難したのが「李立三路線」でしたが、その路線はその実、周が軍事部長として取り仕切ったものでした。李立三自身は宣伝部長にすぎず、いわば周の傀儡であったのです。



その傀儡のはずの李立三は、周がモスクワ滞在中に「国際派」批判を始めてしまいます。



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             硬骨漢らしい面構えの李立三



周は瞿秋白とともに1930年9月に帰国し六期三中全会を開き形ばかりに李立三を批判して見せ、再び瞿秋白を指導者に推し自分はまたその背後に隠れます。




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              いかにも文人然とした瞿秋白



このあいまいな態度がコミンテルンの不信をかい前回のべたような「土着派」と「国際派」の激しい権力闘争を招いてしまいました。



しかしコミンテルンの狙いが自分にあるのを知っていた周は、後々「文革」時に周打倒のため持ち出される自己批判「少山報告」を配布してあえて「国際派」に投降します。



この周の行動パターンは彼のその死の直前まで繰り返されることになります。



悪く言えば「自己保身にたけ」、よく言えば「敢えて為さざるに勇なり」(身を引くことを知る勇気をもつ)ですが、この周の行動様式は後の遵義会議と「文革」における毛との関係を解く鍵ともなる重要な一点です。



1931年1月の六期四中全会は「国際派」勝利を確認する大会でした。これに不満の「土着派」が江蘇省委員会(党中央のある上海を管轄する、すなわち事実上の第二党中央)を立ち上げたものの密告逮捕により壊滅したことはすでに述べました。


しかしこの大会でも周は軍事部長にとどまりました。


「国際派」への投降がコミンテルンから認められた証拠です。コミンテルン支部にしかすぎない組織としてはモスクワの指示にしたがうのが当然といえば当然なのですが。



この大会に勝利を収めた王明はモスクワへ帰り、入れ替わるように帰国した張国燾を協力者に得て、周は実質指導部を掌握し重要な決定を下します。



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            才気煥発の風情、王明


それは党中央のソヴィエト区への移転でした。




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