誤解されつづける周恩来13、共産党軍の旗揚げ

8月1日の南昌蜂起が、いかに重要な歴史的出来事であったかは、いわゆる「人民解放軍」がその日を以ってして「建軍記念日」としていることからも知れます。またPRC建国以後に軍が「十大元帥」を選出する際に、南昌蜂起参加の有無が最低の基準になったといわれています。


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1957年に描かれた南昌蜂起の宣伝画。中央の白シャツが周。その後ろに立つのが賀龍、その前で椅子に腰掛けているのが朱徳、周の右側が葉挺か。彼らが周恩来人脈の中心人物である。



歴史に「もし」という仮定を設定して考察を加えるのは、実に有効な歴史理解を与えてくれます。


その1、「もし」南昌蜂起が実行されなかったなら、CCPは国民党の「清党」により消滅していたでしょう。実に惜しい事をしました。


その2、南昌蜂起が実行されたとしても、「もし」周恩来の指導で行われなかったら、軍内に周の権威が確立することはなく、故に後の「文革」の混乱が周の手腕により収束することはなく、その混乱・内乱の中でPRCも崩壊していた事でしょう。これまた実に残念な事でした。


それほどに南昌蜂起とは、CCPと周にとり重大な軍事行動であり、歴史に特筆さるべき案件なのです。しかし後の毛沢東の権威をより確定するために、その意義を貶めて評価するのが毛沢東時代のやり口でした。


またその時代の毛沢東中心に捏造歪曲された共産党史では、周恩来は毛の助手程度に矮小化され、党の教育を受けたシナ人(学者研究者も含む)は、そういった誤った周恩来像しかもたされていないのが普通です。



しかし、周恩来という男、彼こそは初期のCCPとその軍隊の中核的指導者であり、また毛沢東に実権を奪われてからも党と国を必死で支え続けた彼なくしては、これまでの歴史はまったく違ったものに書き換えられなければならなかったでしょう。極論すれば、彼がいなければCCPはとうに消滅してはずであり、彼こそは諸悪の根源を支えた魔王とも言うべき存在でした。しかもあの温厚でスマートな外面、真に恐ろしい男でした。



さて、南昌蜂起についてです。


その背景は、今まで述べてきたとおりですが、確認しておかねばならないのは関係政治勢力そろっての分裂です。


国民党は、武漢と南京に分裂。

ソ連は、スターリンとトロツキーに分裂。

CCPは、陳独秀とその反対派に分裂。


これらの分裂が、シナにおいては南昌蜂起によりすっきり整理されることになりました。


国民党は、党内のCCP勢力が一掃され武漢と南京が団結したこと。

CCPは、陳派が脱党しトロツキー派を結成することで周恩来の指導権が確立したこと。



南京政府が4月に「清党」を断行し、武漢政府が7月に共産党を分離して実質的に「国共合作」は失敗しました。


しかし、コミンテルンはそれでもなお国民革命に固執し国民党の指導の下に労農暴動を継続するという路線を継続していました。それはシナ革命が、「ブルジョワ革命」の段階にあるとする教条に基付くものでした。


南昌蜂起が起ってのちの8月7日のいわゆる「八七会議」、それはCCP中央の改組工作だったのですが、そこにおいても南昌蜂起にいっさいふれることはありませんでした。



それは、南昌蜂起がコミンテルンの指導に拠るものではなかったことを示しています。それどころかコミンテルンの立てた戦略は、極力その時期の蜂起には反対し、速やかに広東に撤退しそこに割拠する、というものでした。



コミンテルンは、漢口の臨時党中央の張国燾を南昌に近い九江で蜂起を準備中の実行部隊に派遣し蜂起反対の命令を伝えさせました。


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張国燾


そこで断固として蜂起を主張したのが周恩来でした。


張国燾の観察によると、


周恩来はあまり議論をせず、ひたすらしごとにうちこむ勤勉な工作者であった。ものしずかに、夜に日をついで繁雑な事務を処理し、不平を意に介さず、もんちゃくをおこすこともなかった。同志たちを分散させる工作(引用注、disposition)の大半は、彼の手でなされた。かれが一般同志の尊敬をあつめ,日ましに重要な地位をしめるようになったのも、これ以後のことである。


ということになりますが、その周が忍耐だけがとりえではない事を証明するように、蜂起へ向けて準備を煮詰め、そしてコミンテルンの指令させはねつけ、蜂起へと衆義を一致させたのです。


周の計画は、CCP武装力の依拠する国民革命軍第四軍の指導者・張発奎が状況にせまられて反共に転ずればCCPの軍事力は一網打尽にされよう。それよりは機先を制して(第四軍の駐屯する)南昌一帯で暴動をおこし湖南・湖北・江西を糾合して反・南京、反・武漢の中心を作る。そして潮州・汕頭に撤退し勢力を養い再度の北伐を図る、というものでした。



そのために周が組織した軍事力は、ほとんどが第四軍に属する部隊で、葉挺の指揮する第二四師団、賀龍の指揮する第二○軍、朱徳の支配する第三軍、あわせて約三万人という規模でした。



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南昌蜂起の指導者たち。左上から時計回りに、朱徳、葉挺、朱克靖、賀龍、劉伯承、周恩来。



総指揮には、蜂起軍中最大の勢力を持つとはいえ侠客出身ゆえまだそれほど信頼をもたれていない賀龍をまつりあげ、実質総指揮を「前敵総指揮」という名目で北伐以来の同志・葉挺にまかせ、周は「前敵委員会書記」という目立たない位置で実権を握りました。(賀龍については、「賀龍と包丁」http://marco-germany.iza.ne.jp/blog/entry/39081/を参照されたし)



周恩来、29歳。武漢政府の共産党分離により消滅の危機にあったCCPを、時を移さずもてる軍隊を集中して独自の軍を旗揚げし、党に活路を開いた周でしたが、広東への南征の途中の周たちに関わりなく漢口で開催された上記「八七会議」は、周たちの行動を抗命と見なし、処分を行っていたのです。




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この記事へのコメント

ひよこ
2007年10月02日 19:21
よっ!おやびん!50の壁をぶちやぶってる
ばんざーーーい!
マルコおいちゃん
2007年10月02日 19:27
ひよさま、
ほんなこつね?
じゃあ、ひよさまのお陰ですタイ。
ひよこ
2007年10月02日 19:30
朝えんとり、10個。ぷちぷち!読まないで・・・
これ内緒!でもうれしーーーい!
やっぱり一ページ目はきぶんいいっす!
あしたのあさ、もいちどりばいあさんとかとおやまさんとか
読むからね。ごかんべーーーん!
マルコおいちゃん
2007年10月02日 19:32
ひよさま、
そりや、ありがとうございます。ちゃんと読んでね。
ひよこ
2007年10月02日 19:33
はい!よまいでかーーーーー!
nhatnhan625
2007年10月02日 21:35
ほんとだ~
48位になってる!
ばんざ~い!
マルコおいちゃん
2007年10月02日 21:38
武閑老師、
多謝!それほど喜ばしいポジションでもありませんが、しかしまあ50位の壁を突破できたのは皆様のお陰です。今後もよろしくご贔屓に。

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