シナとヨーロッパという二つの異なる理念

前回少し引用した、H.ハールマンの『現代ヨーロッパの言語』には、ヨーロッパとシナの面白い比較がある。(訳者はシナを「中国」と訳しているが、また統計数字が古いが、そのまま引用する。)

中国: 面積957万km2、 人口10億、    言語の数50-55、国家の数 1
欧州: 面積1050万km2、人口6億2100万、言語の数60ー70、 国家の数33


「中国には一国だけで、ほぼヨーロッパ全土における言語と等しいだけの数多くの言語がある。(中略)ひたすら「政治的」に維持されている「国家あっての」言語を除くと、ヨーロッパの言語の数は、中国における言語の数とほぼ同じになるだろう。そこでいま、中国をそっくりそのままヨーロッパに持っていって、ヨーロッパ的原理にしたがって構成しなおすならば、中国はそれがかかえる非シナ系諸民族の要求によって、少なくても30を超える独立国家に分立することになるだろう。」

このハールマンという著者は、ヨーロッパの言語をめぐる状況を相対化するために、シナをもちだして比較の対象としているため、以下のような奇妙なロジックになっている。

「国家が言語と一致する」という「危険思想」は、ドイツの理論であるとするフランス人の考え方にもかかわらず、その傾向は東欧やロシアからアジアに及んでいる、と述べた後、

「このような、ヨーロッパで主流となり、19世紀から20世紀へとヨーロッパ史を動かしてきた言語イデオロギーが、ヨーロッパ以外では決して一般的な常識ではないということを、いまそれとほぼ等しい面積をもつ中国と比較してみよう。」

として、上記比較表を提出するのである。

しかしいまわれわれが直面しているシナによって生起された政治・社会的な問題は、ハールマンのこの転倒したロジックを、ひとつの逆説として理解したほうがすんなりと腑に落ちてくるように思われる。

すなわち、「国家が言語と一致する」という「危険思想」を、ひたすら「政治的」に」抑圧し維持されている「国家あっての」言語が「普通語」というシナ語ではないかと、というしごくあたりまえな常識的な現実認識である。

いや、その現実が常識的だ、という意味ではない。われわれのシナにおける状況に対する認識がそのようになされるのが、常識というものであろう、ということである。

これをさらに裏返して言えば、シナにはヨーロッパのような国家群が林立していてしかるべきである、ということである。

考えてもみてほしい、ほぼヨーロッパに等しい面積と人口と言語の数をもつシナ亜大陸に、たった一つの「国家」しかない異常さを。

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その異常さをよりよく照射させるものとして、フランスの言語状況を『現代ヨーロッパの言語』からひろい上げてみよう。

世界にさきがけて「国民国家」を建設したフランス共和国にはフランス人が居住するのであるが、そのフランス人には以下のような言語グループが含まれている。カッコ内は話される言語。

アルザス人(ドイツ語)
ブルトン人(ブルターニュ語)
バスク人(バスク語)
カタルーニャ人(カタラン語)
コルシカ人(イタリア語)
その他、ジプシー、ユダヤ人

その言語と民族の差異にもかかわらず、これらフランス国籍をもつ人々が、ひとつの国、ひとつの国民、ひとつの民族(大方のヨーロッパ語には「国民」と「民族」の区別はない。どちらも「Nation」である。)の「フランス人」とされているわけである。

もちろん問題がないわけではない、とくにバスク人の独立運動はすでに早くから地下組織によるテロ活動が始まっていることは先刻ごぞんじのことと思う。またアルザスをめぐる独仏の過去における確執や、コルシカ島のイタリアから割譲の歴史的経緯等々は、重要ではあるが、混乱を避けるためにここでは思い切って省略してしまおう。

このフランスの言語状況は、まるで現今のシナ亜大陸における言語と国家をめぐる縮図そのものではないか?ほぼ言語と民族に依拠した国家が成立しているはずのヨーロッパの国民国家内でさえこういう状況なのである。それは、フランス人の自己中心主義いわば「フランス中華主義」によるものである。

ここに「国民」とは国家があってのものであること、そして「国語」とは政治的に国家が決めるものである事、がはっきりと見て取れる。それゆえにフランスにとっては、「国家が言語と一致する」という考えは「危険思想」なのである。

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アルザスの首都・ストラスブール(独、シュトラスブルグ)のドイツ風木組みの家のある一角を「プチ・フランス」と呼ぶひねくれた根性のフランス人


シナ亜大陸にある「国家」とフランスに代表されるような国民国家とは、おなじ国家とはいえまったく内実がことなっている。それについては、「「中国」とは国なのか?」(http://marco-germany.at.webry.info/200710/article_11.html)で述べておいた。中華人民共和国は国民国家ではない、と。


しかしそれでもシナは、フランスのような言語的問題をかかえながら、孫文たちによる革命以来、国民国家を形成しようとはしたのだ。フランスでは有効であった手段は、シナ亜大陸には通用しない。あまりに広すぎるからだ。


そしてなぜ国民国家を成立できないもう一つの、その理由は、何度も述べるがシナ・イデオロギーによるものだ。それは帝国を形成するための理論であるからだ。


「ヨーロッパ」という文明理念を共有する広大な地域に林立した国家群も、およそ今の国境分割にいたるまでは、長い戦争と紛争の歴史を経てきたのである。そしてその反省に立って、「ヨーロッパ」という文明理念に回帰し、国家連合を志向しその完成へむけて歩みを続けている。しかしそれは帝国を志向しているわけではない。

しかしシナにおいては、秦漢時代にひとたび帝国が成立するや、ひたすらその帝国を良しとし、その誤れるイデアを追求してきて今日に至っている。

この異なれる二つの文明について、いずれが魅力に富んだものであろうか?問うも愚かな問である。シナ亜大陸にすむ住人たちが、他文明地域の住人がうらやむ生活を送っているかといえば、答えはまさに否であろう。逆に、シナ人民が欧米日の生活に憧れているのである。

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シナは、日米欧のような高度な物質生活を手に入れようとしている。しかし、日米欧の高度な精神生活にはまったく興味がないように見えるのも、また奇態なことである。シナという病を、外部世界が受け入れがたい理由のひとつもそこにあるであろう。

つまり、「人はパンのみにて生くるにあらず」、ということをまったく理解できないのがシナ病患者の特徴でもある。魂の問題がまったく問題にされていないのだ。

シナとヨーロッパとはともに理念であると述べた。しかしその二つの理念の作り上げた社会は斯くのごとくまったく異なっている。

それはなぜか?

<続きは次回に>





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この記事へのコメント

2007年12月10日 18:44
中国とヨーロッパは、巨大な共同体として考えた方がよそそうですね。
マルコおいちゃん
2007年12月10日 18:49
長田ドームさん、
はじめまして、ようこそ。
ええーと、次回で述べようとした結論を先取りされてしまったようです。
にほんはにほん
2007年12月10日 20:55
あの地域はいっそのこと他地域の巨大宗教勢力に呑み込まれてくれないかとさえ思います。ただし我々が無事であることを前提として。
マルコおいちゃん
2007年12月10日 22:09
にほんはにほんさん、
筋金入りのマテリアリストがシナ人ですから、さて飲み込まれるかどうか?
aaa
2007年12月11日 00:22
ネーションステート、近代国家の問題に行き着くわけですか。
まあチャイナに関して言えばポストモダンwどころか
モダンですら通過してないと。
マルコおいちゃん
2007年12月11日 00:27
aaaさん、
ようこそ。
通過どころか、まだ入り口でウロウロ、というところではないでしょうか?

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