【シナの変容】 マニ教と白蓮教

さて弥勒菩薩は、元来は西アジアの太陽神ミスラがインド思想に取り込まれたものであろう、という説もある。とすると、そのメシア的性格は大いにうなずける。そしてマニ教の教義もまた、ゾロアスター教に由来すると思われる善悪二元論による光と闇の闘争の教義、太陽神ミスラが主導して、闇が支配する現世を打ち倒すハルマゲドン思想をもつのである。



このようなマニ教が、武照の弥勒革命と同時にシナに渡来したのはただの偶然であろうか?


いずれにせよこの弥勒教・マニ教という二つの近似した信仰がかさなりあい溶け合うようにして誕生したのが白蓮教であった。それは宋代のことであった。白蓮教は、南宋の慈昭子元が創始したといわれる。



白蓮という言葉自体は、南北朝時代の東晋のシナ浄土宗の開祖といわれる慧遠がつくった白蓮社に由来するものと思われるが、直接の関係はない。



この白蓮教が大きく歴史の舞台に登場するのは元末であった。白蓮教徒による「紅巾の乱」がそれである。それは宗教反乱、農民蜂起、民族抵抗が一緒になって爆発したもので、その中から頭角をあらわした乞食坊主出身の朱元璋が混乱の中で指導者となり、ついにはモンゴル人を北へと駆逐し明王朝をたてた。シナ人が歪曲するようにモンゴル人はシナに同化されてしまったわけでは決してなかった、為念。



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                       朱元璋とされる画像



その「明」という王朝名は、マニ教の別名である「明」教に由来したともいわれている。


しかし朱元璋は自己の権力を確立すると一転して白蓮教を弾圧したのである。朱自身の信仰の度合いは知るすべもない。信仰云々はどうあれ政治権力者としては当然のことをしたまでであろう。その内部にいた朱であれば白蓮教の危険さはよく知っていたはずであるから。


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   これもまた朱元璋の肖像画といわれているが・・・


この明は、元と清にはさまれた漢・チャイニーズによる最後の王朝となり、しかも当時のモンゴル世界大帝国が解体しユーラシア大陸各地にその後継帝国が並び立った世界の中では第一等の経済大国だったらしい。後世、清朝に反抗するシナ人たちのスローガンは「反清復明」であったが、この面でも現代シナがめざすのは「復明」なのであろうか?アナクロニズムとはこのことであろう。



政治でいえば、絶対君主制を確立し現代シナに直接の影響をもつ点では、唐よりもなお重要な時代である。それはそのまま中共政権のお手本なのであろうから。



宗教から見ると、弾圧された白蓮教はいきのび明代にも何度かの反乱をくりかえすが明を滅ぼすまでにはいたらなかった。明は、別の理由で滅びるのであった。その明にとってかわった満洲族の清朝のその末期にもういちど「白蓮教の乱」とよばれる叛乱を引き起こすことになる。しかしこのシリーズは宗教から見たシナの変容の可能性をさぐるものなので、あまり歴史には深入りしない。


さてこのあと、マニ教について少しばかりの知る限りをのべて、さらに民衆叛乱と民間宗教、秘密結社、黒社会との関係などを見て、最大最新最悪の秘密結社・シナ共産党の検討に入り、対抗イデオロギーとしてのシナ民衆の宗教信仰の考察をしてみたい、というのが当初の計画なのだが、さてどこまで行けることやら、正直いっていささかこころもとない。それでもおつきあいいただけるならうれしく思います。





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この記事へのコメント

yamanote-1
2008年05月05日 14:59
マニ教と弥勒。明は明教(マニ)からとは初耳。更に白蓮教。? 現在は世界でその凶暴性を公認・喧伝中の最大・最悪・最凶暴・攻撃性の強い共産党。共産党は最初は隠れでしたか?勉強になります。 今後の展開も期待します。
丸幸亭
2008年05月06日 05:59
yamanote-1さん、

いらっしゃいまし。
さてどこまで行けるか心もとないのですが、お付き合いいただければ幸甚です。

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