習近平、基層からたたき上げる

「1982年、習近平は突然中央軍事委員会をはなれ、河北省正定県の県委書記になることを決定しました。当時、耿飆もその選択を理解できず、とどまるよう勧めました。基層に行くなら連隊に行けばよい、なにも地方に行くことはない、と。習近平が意地をはったのは、香港の親共メデイアによれば、ある「父と同輩の地位の高い人」の指導があったともいわれています。」

と金氏は述べています。その「地位の高い人」が誰かは不明です。


「当時、高級幹部子弟が基層へ行って鍛錬するのは、すでに前途を謀る筋道になっていて、たとえば劉少奇の子・劉源、薄一波の子・薄煕來、曾慶紅などすべてそうだったのです。なぜなら、彼らが中央機関にとどまれば民の恨みは大きく、たちまち天に登ることも決してよい事とはいえず、鍛錬してこそ再び抜擢されるには有利であったからです。」


という社会状況があったようです。また青年幹部の養成は、中央組織部が一手にしきっており、胡耀邦の古い部下の王照華(共青団指導者で、胡耀邦が権力の中心だったさい、中央組織部副部長兼青年幹部局局長として青年幹部の養成の責任者)がこの方面での名手だったそうです。

胡錦涛やその世代の指導者、つまり現指導部は、みな八十年代に彼ら(胡耀邦と王照華)によって抜擢された、ということです。


このことから推理すると、近平に基層へいって鍛錬することを指導したのは、胡耀邦その人だったかもしれません。父・習仲勛と密接な関係から考えてありそうな話です。


この基層の現場から後継者をたたき上げるという胡耀邦の方針が、現指導部形成に役立っているのだとすれば、胡錦涛の後継者に習近平がなりあがったことも、既定方針どおりのことで何も驚くに値しないのかもしれません。


そうであるならば、胡錦涛の意中の後継者は李克強であったのに、江沢民や曾慶紅によって習近平を推薦されそれをいやいやながら受け入れさせられた、という説も少し疑ってかかる必要があるでしょう。


ここで重要なのは、毛沢東時代とことなり、後継者養成がシステマテイックに行われているようだ、ということです。もちろん実際の地位決定においては権力闘争の駆け引きや綱引きがあるには違いないでしょうが。


しかしそれにしても、居心地のいい中央での地位を捨てて基層幹部から鍛錬することを決心するためには、上層部の指導があったととはいえ、近平本人にもそれなりの将来への抱負と自信があったからに違いありません。



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