シナという病の幼児性

シナは分裂せよ、それこそが民主化への道である、と外国がのべたところで、ハイ、そうですかそれはごもっとも、じゃあ、分裂しましょう、とシナが分裂するはずもない。

世界に君臨したシナ帝国の歴史への自負と、その帝国が脆くも欧米帝国主義に打ち負かされ侵食されたことへの自虐が、シナ人をして歴代王朝下での、とくに異民族王朝支配下での奴隷の境遇へと思いをいたらせ、負け惜しみと復仇の念にこり固まらせ、強大な帝国を絶対に維持しようとするからである。

言を代えれば、近来の悪夢からなんとか醒めて、その苦さと恐怖にこりごりして古代の美しい夢の追求へと回帰してしまったのが現代シナということだ。

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現在進捗する大軍拡のいいわけも、日米がシナへの軍事侵略をもくろんでいるからだ、ということになるらしい。ゆえに、軍拡をやめよ、軍拡を透明化せよ、といくら要求したところでやめるはずもない。自分はいじめられっ子だという自虐感が、よりいっそう彼らのルサンチマンを煽り立て、強大になりたい、という幼児的心理に後退させるのである。

奴隷精神の表現は、ひとつには絶対的権力への絶対服従と、あわよくば隙をみて自らが奴隷主になろう、というものである。奴隷主になりあがった奴隷は、奴隷に対してはかっての奴隷主に比してより過酷な仕打ちをするものである。

見よ、チベット・東トルキスタンにたいする情け容赦ない民族浄化を、中共の農奴にたいする土地の取り上げと貧窮化の放置を、法輪功にたいする拷問・生体からの臓器摘出を。

いじめられっ子がいじめっ子になったときの残虐性を、如実にあらわしているのが現今の中共政権である。そしてその幼児性の発露を抑圧する機能はシナ社会には存在しないようだ。

暴君統治下の暴民は暴君より暴なり、という魯迅の言葉は胡乱にもいまだ有効なようである。



シナをシナのまま維持しようとすれば、古代からの中央集権で統治するより道はない。この条件下でセカンド・ベストは開明君主による開発独裁しかないだろう。趙紫陽政権下で、かれのブレーンたちがあみ出した用語が、「新権威主義」であった。

しかしこの統治理論の最大の欠点は、誰が誰を「開明君主」と判断するかの問題がクリアーでなかったことだ。趙紫陽は、もちろんその資格を備えているとした前提での、政権正当化、理論化であったのはまちがいない。

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       六四虐殺をまえに学生たちに謝罪する趙紫陽、公開の場では最後の写真。その後ろは当時中央弁公室主任の温家宝。


しかしその趙紫陽も反対派によって粛清されてしまった。そしてそれにかわって立てられたのが、愚劣であるが悪知恵だけははたらく、あの史上最大の阿Qであった。この中共統治上最大の愚挙により、シナ社会は空前の政権官僚どもの腐敗と社会的混乱、農民のさらなる貧窮化と反抗、無際限の環境汚染と破壊におちいってしまった。

なんどもいうようにシナがその「国内」でいかに乱れ腐敗しようと、それは彼らの問題である。しかしあの最大の阿Qが、天安門虐殺がもたらした未曾有の信頼失墜と海外からの経済制裁による中共政権の危機を、「愛国主義」で乗り切ろうとしたため、現在の国際緊張をもたらしてしまった。

それゆえ、われわれも、放置すれば深刻な危難を周辺国家と世界に与えるであろうシナ問題というわれわれの国難を座視できなくなってしまったのだ。

その、いままさに滅亡しようとしてあがくリヴァイアサンの断末魔のメクラめっぽうの暴発をなんとか未然に防がねばならない。

それには二つの道しかない。

まずはシナへの過度の経済的コミットメントをやめることである。それは独裁政権の生き延びに力を貸すだけであるから。

二つ目は、核武装を含む防衛力の整備である。彼らの絶対権力にたいする畏怖と服従という奴隷精神をつくためである。

しかしわが国と欧米諸国は今に至るもまったく正反対の道を歩み続けてきた。それはいじめられっ子がかわいそうだから、助けてあげたい、という麗しき人道主義であったかもしれない。しかしかってのいじめられっ子もいまや立派ないじめっ子に成長しようとしている。

そういえばまだ可愛いものだが、じっさいは手のつけられない暴力集団に発展してしまったようだ。だからもう手遅れかもしれない。

中共現指導部が、「開明君主」として「開発独裁」できるなら、その開明さに期待をかけて妥協にもちこむ可能性もあるかもしれないが、いまだ指導部が安定した権力を行使できるかどうかは不明瞭である。あの阿Qがまだ一定の力を維持しているからである。とくに阿Qが自己権力維持のため扶養した軍と軍警内の阿Q勢力が、現指導部にたいして完全な服従の意を呈していないことからそれが知れる。

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「開明君主」候補が、たくみに柔軟な路線を示して日米欧を篭絡して「開発独裁」を実現しようとしている。戦略的関係を築く、としてその手に乗るのはリスクが多く危険であろう。オーヴァー・コミットメントは絶対避けるべきだ。それが過去の教訓である。

シナ問題にコミットするなら、シナ分裂を促し、そして小国分立による民主化を実現させる、その方向でアプローチすべきであろう。




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