【中共異端思想の系譜】その3、林彪批判それぞれの思惑

「批林批孔」運動の字面に騙されたのかあるいは中共当局の意を受けたのか知らぬが当時の日本のシナ学者や専門家は、まじめに孔子批判の重要性などをうんぬんしていたのが今も変わらぬわれわれの悲喜劇である。 ごく少数の学者や専門家、中嶋嶺雄氏や竹内実氏などが「批林批孔」運動とはまさに周恩来批判であることを見抜いていただけだった。 …
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【中共異端思想の系譜】その2、文革後期の状況

「李一哲の大字報」は現代シナにおける精神的核爆発であった。それは後の1976年「第二次天安門事件」(シナでは「五四運動」をもじって「四五民主運動」と呼ぶ)、79年「西単民主の壁」(あるいは「北京の春」)、胡耀邦失脚の直接の理由となった86年「学潮」、89年「六四虐殺」により収束した天安門学生民主化要求運動と次々と核融合爆発を繰り返すこと…
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習近平を近距離観察

再録ついでに昨年8月にイザにエントリーした<習近平を近距離観察 >シリーズも再録しておくことにします。 昨年の中共十七全大会で、コキントウの後継者になりあがった習近平についてはナゾが多く、やれ「上海閥」だの、「太子党」だのととりざたされています。 「上海閥」とは、とんでもない勘違いに違いありませんが、「太子党」とは…
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【中共異端思想の系譜】その1、異端とは

挨拶<半年にわたる中断を経て再開することにします。これはイザ・丸山光三或問集(旧名・マルコおいちゃんのヤダヤダ日記)に連載中のエントリーからの再録です。> 異端とは、「主として宗教用語。正統を自負する教派が、自己の教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。」 「さらに広く…
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「わたし」の変容

おもいがけず長い間更新が滞ってしまった。このまま放置モードにしてしまおうかとも考えたが、それではいままでお付き合いくださった少数ではあるが親密な読者の方々にあまりに失礼であると思い直した。 この間、このブログを派生させる元となった<マルコおいちゃんのヤダヤダ日記>(後に<丸幸亭冷屁斎老人独言日録>と改名)も放置モードにしてしまった…
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【シナの変容】 義による人々

「義」、とはわれわれがシナから輸入し現に使用している概念ですから、意味上はシナのそれとほとんど違いがありません。 仁義礼智信、とは儒家のいう「五常」です。「五倫」とも「五徳」ともいって人が常に持つべき倫理(モラル)をのべたものです。なかでも「仁」と「義」はその中心となるものです。しかし≪論語≫にはこれらの語を並べて論…
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【シナの変容】 秘密結社のガイスト

二ヶ月あまりも更新が滞ってしまい、申しわけありませんでした。 イザ版に述べておいた理由により、しばらく韜晦しておりました。 このシリーズでは、民間宗教と秘密結社という、シナの裏側から、来るべき「シナの変容」を透視するという、大それた試みを志したため、自分の非力さ無能さをかみ締める韜晦の日々でした。 それでも、とりあえず…
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【シナの変容】 シナ秘密社会の概観

『洪門人による洪門正史―歴史・精神・儀式と組織』の世界に遊ぶ前に、まずシナ秘密社会の概観を。 イタリアン・マフィアの例でもわかるとおり、およそ近代成立以前のワイルドな社会にはそのような秘密社会はよく見られるものですが、シナ社会特有の秘密社会のあり方の特徴は何かと問えば、それは強力な中央集権権力から収奪され続けた民衆が自ら…
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【シナの変容】 フリーメーソンと洪門会

さて前回では、洪門会のシンボルマークが、フリーメーソンのそれと酷似していることを述べました。そしてそれについては安部秀樹氏が、その著書・『洪門人による洪門正史―歴史・精神・儀式と組織』(雅舎、平成19年)でちゃんと述べておられます。その部分を引用しましょう。 「現在、洪門系の団体にはフリーメーソンの代表的な印の一つである…
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【シナの変容】 シナの秘密結社

秘密結社とは、ふつう組織の存在は世に知れていてもその組織の実態、とくにメンバーは秘密だということです。またその組織の目的さえあまりさだかではないことが多いと思います。 白蓮教は、朱元璋がその中からいでて明王朝を建てるのに大きな力を果たしたにも関わらず、後に明太祖となった朱元璋により弾圧されてしまったことはすでに述べました。 …
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【シナの変容】 マニ教から明教へ

さて、物語はまた武照・武則天へと帰る。彼女が大周革命、あるいは武周革命を成功させたのが690年であり、その革命イデオロギーが弥勒信仰であったことは、すでに述べた。その武則天を宮廷にたずねたものがいる。ミフル・オルマズドというマニ教徒教師であった。彼は直接に武則天にマニ教義を説き布教を許された。694年のことであった。 そ…
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【シナの変容】 世界宗教マニ教の東進

マニ教について簡単に述べておこう。マニ教(シナ語では摩尼教と記す)は、ササン朝ペルシア帝国統治下のバビロンに生まれた「世界宗教」であった。バビロンは古代文明の首都であった。 またBC330年のアレクサンダー大王の征服によりいわゆるヘレニズム(ギリシア主義)の波がおしよせた。またBC7世紀の「バビロニア捕囚」いらいそこはユダヤ人…
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【シナの変容】 マニ教と白蓮教

さて弥勒菩薩は、元来は西アジアの太陽神ミスラがインド思想に取り込まれたものであろう、という説もある。とすると、そのメシア的性格は大いにうなずける。そしてマニ教の教義もまた、ゾロアスター教に由来すると思われる善悪二元論による光と闇の闘争の教義、太陽神ミスラが主導して、闇が支配する現世を打ち倒すハルマゲドン思想をもつのである。 …
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【シナの変容】 弥勒殿に鎮座まします布袋様

ここで弥勒と布袋の関係について述べておこう。 さて、シナの仏寺建築プランは、宋代に「伽藍七堂形式」(七堂伽藍といっても同じだが、日本語では寺の堂が多くそろった様をいうのみ)が成り、ほぼ現在に至る。その形式とは、仏が北座南面する中心としてその南北を主軸とする一線に七つの殿堂を配置する。 その七つとは、南から、 山…
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【シナの変容】 革命シンボルとしての弥勒

シナの仏教は、おおきく禅、浄土、密に分けられる。禅は文化人知識人に好まれ、民衆は浄土に往生することを希求するのは日本と同様である。また密教は、唐時代に伝来し不空が大成したものの、その弟子・恵果が日本の空海に伝法して東渡させたためか、シナ本土では栄えず、チベットに伝来したものがいわゆる「ラマ教」としてその地に栄え、チベット以外ではモンゴル…
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【シナの変容】 短命だった世界帝国

武照が唐を中断させる弥勒革命を成功させたのは690年であったことはすでに述べた。このころ後代に深い影響をおよぼす宗教的できごとがもうひとつあった。マニ教のシナへの伝来である。694年のことであった。 マニ教はペルシア起源の宗教で、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教グノーシス派などをミックスした宗教であったようで、一時は…
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【シナの変容】 革命の変質

シナにおける革命とは、「天命を革める」ことに他ならない。しかし、ご承知のように「馬上天下をとる」ことがゲンジツであって、あらたに皇帝権力を手に入れたものが天命を云々するにすぎない。このゲンジツを毛沢東は、「鉄砲から政権が生まれる」(槍杆子出政権)と喝破した。 この中共政権第一期の皇帝が、その死期を悟るに大隕石の落下をもっ…
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【シナの変容】 洛陽、トポス・ブッデイスモ

洛陽は、「中国」すなわち首都として「中国」(こちらは中原の意)の中心であった。だからいわば「中国の中国」である。漢代に成立したシナ・イデオロギーの宇宙論的定位によれば、この都市は天下・世界の中心として永遠に首都たるべきであった。それゆえか、インドから請来された仏教においても、この「中国の中国」は重大な意味を有することになった。 …
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【シナの変容】 毛沢東が聞いた天命

シナの宗教性と精神生活についてのいくつかのスケッチを試みてみよう。それを以ってやり残した宿題処理の方向を確認したい。 毛沢東はその最晩年の生活において、二人の女性しか身辺に寄せ付けなかった。 一人は、毛が江青と別居して以来の事実上の妻であり、いわゆる「生活秘書」の張玉鳳であ…
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【シナの変容】 シナの宗教性と民衆叛乱

鄧小平のいわゆる「経済改革」路線とは、共産党の指導を堅持しながら資本主義を導入することであった。人民の物欲の開放は、その政策をささえる大動力となって、うますぎるほどに機能してきた。とくに都市部での見かけの上だけの成功でも外国人とシナ人自身もあざむくのに十分なようにも見える。 またその物欲の追求の自由の公認は、シナ文明のマ…
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