テーマ:弥勒

【シナの変容】 マニ教から明教へ

さて、物語はまた武照・武則天へと帰る。彼女が大周革命、あるいは武周革命を成功させたのが690年であり、その革命イデオロギーが弥勒信仰であったことは、すでに述べた。その武則天を宮廷にたずねたものがいる。ミフル・オルマズドというマニ教徒教師であった。彼は直接に武則天にマニ教義を説き布教を許された。694年のことであった。 そ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

【シナの変容】 世界宗教マニ教の東進

マニ教について簡単に述べておこう。マニ教(シナ語では摩尼教と記す)は、ササン朝ペルシア帝国統治下のバビロンに生まれた「世界宗教」であった。バビロンは古代文明の首都であった。 またBC330年のアレクサンダー大王の征服によりいわゆるヘレニズム(ギリシア主義)の波がおしよせた。またBC7世紀の「バビロニア捕囚」いらいそこはユダヤ人…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

【シナの変容】 マニ教と白蓮教

さて弥勒菩薩は、元来は西アジアの太陽神ミスラがインド思想に取り込まれたものであろう、という説もある。とすると、そのメシア的性格は大いにうなずける。そしてマニ教の教義もまた、ゾロアスター教に由来すると思われる善悪二元論による光と闇の闘争の教義、太陽神ミスラが主導して、闇が支配する現世を打ち倒すハルマゲドン思想をもつのである。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

【シナの変容】 弥勒殿に鎮座まします布袋様

ここで弥勒と布袋の関係について述べておこう。 さて、シナの仏寺建築プランは、宋代に「伽藍七堂形式」(七堂伽藍といっても同じだが、日本語では寺の堂が多くそろった様をいうのみ)が成り、ほぼ現在に至る。その形式とは、仏が北座南面する中心としてその南北を主軸とする一線に七つの殿堂を配置する。 その七つとは、南から、 山…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

【シナの変容】 革命シンボルとしての弥勒

シナの仏教は、おおきく禅、浄土、密に分けられる。禅は文化人知識人に好まれ、民衆は浄土に往生することを希求するのは日本と同様である。また密教は、唐時代に伝来し不空が大成したものの、その弟子・恵果が日本の空海に伝法して東渡させたためか、シナ本土では栄えず、チベットに伝来したものがいわゆる「ラマ教」としてその地に栄え、チベット以外ではモンゴル…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more