テーマ:李一哲

【中共異端思想の系譜】その7、郭鴻志

李一哲大字報グループのキー・パーソンは郭鴻志であろう。当時、広東人民放送局技術部副主任という職にあった、いわゆる「党員幹部」である。 郭については王希哲もその自伝に詳細には述べていない。また表には出なかったにしても大字報の長大な序文は彼が書いたものであり、つまり量からいえば大字報の半分は郭鴻志に属する。 王希哲の…
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【中共異端思想の系譜】その6、異端ではない

「李一哲の大字報」は、まず毛沢東への手紙として書かれたことはすでに述べた。その本文には短い手紙が添えられていた。それは王希哲が執筆したものでありその内容は紅衛兵としての「文革」への理念と「毛主席」への期待が述べられていた。 自伝に収録されたその手紙をはじめて読んだが、そこに示されているこの時点での彼の思想的立場は、後の『毛沢…
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【中共異端思想の系譜】その5、光明と暗黒

異端、あるいは中共用語で「反動」または「反革命」の概念は実にあいまいで間口が広い。とくに「反動」または「反革命」の決まった定義があるわけではなく、つまるところ自己に反対するものに「反動」または「反革命」のレッテルを貼り付けるだけというまさにご都合主義なものなのである。 しかし党内批判派、あるいはマルクス主義パラダイム内での反…
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【中共異端思想の系譜】その4、王希哲の経歴

さてここで王希哲の経歴についてもっと詳しく述べておくほうがよいと思う。自伝に従い以下に簡略する。 王希哲(1948生、四川人)、映画制作技術者の父の転勤にともない武漢、上海をへて広州に転居。 1966年勃発した「文革」では、広州市十七中学(日本の中学高校)の造反派紅衛兵組織「井崗山公社」のリーダーとして積極関与。 …
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【中共異端思想の系譜】その3、林彪批判それぞれの思惑

「批林批孔」運動の字面に騙されたのかあるいは中共当局の意を受けたのか知らぬが当時の日本のシナ学者や専門家は、まじめに孔子批判の重要性などをうんぬんしていたのが今も変わらぬわれわれの悲喜劇である。 ごく少数の学者や専門家、中嶋嶺雄氏や竹内実氏などが「批林批孔」運動とはまさに周恩来批判であることを見抜いていただけだった。 …
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【中共異端思想の系譜】その2、文革後期の状況

「李一哲の大字報」は現代シナにおける精神的核爆発であった。それは後の1976年「第二次天安門事件」(シナでは「五四運動」をもじって「四五民主運動」と呼ぶ)、79年「西単民主の壁」(あるいは「北京の春」)、胡耀邦失脚の直接の理由となった86年「学潮」、89年「六四虐殺」により収束した天安門学生民主化要求運動と次々と核融合爆発を繰り返すこと…
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【中共異端思想の系譜】その1、異端とは

挨拶<半年にわたる中断を経て再開することにします。これはイザ・丸山光三或問集(旧名・マルコおいちゃんのヤダヤダ日記)に連載中のエントリーからの再録です。> 異端とは、「主として宗教用語。正統を自負する教派が、自己の教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。」 「さらに広く…
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