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丸幸亭老人のシナにつける薬

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丸幸亭老人のシナにつける薬
ブログ紹介
シナには関わりたくない。シナはないものとして気楽に生活を送りたい。だがそれもかなわぬ。シナが気がかりな悪夢のように黒い影を世界中に広げているからだ。

そこで、いやいやながらシナについていささかの考察と対策を考えたい。シナという病につける薬を提供したいという壮大な試みを良しとされよ。


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タイトル 日 時
習近平を近距離観察
習近平を近距離観察 再録ついでに昨年8月にイザにエントリーした<習近平を近距離観察 >シリーズも再録しておくことにします。 ...続きを見る

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2009/06/09 17:18
【中共異端思想の系譜】その1、異端とは
【中共異端思想の系譜】その1、異端とは 挨拶<半年にわたる中断を経て再開することにします。これはイザ・丸山光三或問集(旧名・マルコおいちゃんのヤダヤダ日記)に連載中のエントリーからの再録です。> ...続きを見る

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2009/06/05 19:31
「わたし」の変容
「わたし」の変容 おもいがけず長い間更新が滞ってしまった。このまま放置モードにしてしまおうかとも考えたが、それではいままでお付き合いくださった少数ではあるが親密な読者の方々にあまりに失礼であると思い直した。 ...続きを見る

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2008/12/20 07:58
【シナの変容】 義による人々
【シナの変容】 義による人々 「義」、とはわれわれがシナから輸入し現に使用している概念ですから、意味上はシナのそれとほとんど違いがありません。 ...続きを見る

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2008/08/09 05:49
【シナの変容】 秘密結社のガイスト
【シナの変容】 秘密結社のガイスト 二ヶ月あまりも更新が滞ってしまい、申しわけありませんでした。 ...続きを見る

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2008/08/08 09:29
【シナの変容】 シナ秘密社会の概観
【シナの変容】 シナ秘密社会の概観 『洪門人による洪門正史―歴史・精神・儀式と組織』の世界に遊ぶ前に、まずシナ秘密社会の概観を。 ...続きを見る

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2008/06/04 10:30
【シナの変容】 フリーメーソンと洪門会
【シナの変容】 フリーメーソンと洪門会 さて前回では、洪門会のシンボルマークが、フリーメーソンのそれと酷似していることを述べました。そしてそれについては安部秀樹氏が、その著書・『洪門人による洪門正史―歴史・精神・儀式と組織』(雅舎、平成19年)でちゃんと述べておられます。その部分を引用しましょう。 ...続きを見る

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2008/05/10 05:14
【シナの変容】 シナの秘密結社
【シナの変容】 シナの秘密結社 秘密結社とは、ふつう組織の存在は世に知れていてもその組織の実態、とくにメンバーは秘密だということです。またその組織の目的さえあまりさだかではないことが多いと思います。 ...続きを見る

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2008/05/09 05:57
【シナの変容】 マニ教から明教へ
【シナの変容】 マニ教から明教へ さて、物語はまた武照・武則天へと帰る。彼女が大周革命、あるいは武周革命を成功させたのが690年であり、その革命イデオロギーが弥勒信仰であったことは、すでに述べた。その武則天を宮廷にたずねたものがいる。ミフル・オルマズドというマニ教徒教師であった。彼は直接に武則天にマニ教義を説き布教を許された。694年のことであった。 ...続きを見る

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2008/05/07 07:37
【シナの変容】 世界宗教マニ教の東進
【シナの変容】 世界宗教マニ教の東進 マニ教について簡単に述べておこう。マニ教(シナ語では摩尼教と記す)は、ササン朝ペルシア帝国統治下のバビロンに生まれた「世界宗教」であった。バビロンは古代文明の首都であった。 ...続きを見る

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2008/05/06 05:56
【シナの変容】 マニ教と白蓮教
【シナの変容】 マニ教と白蓮教 さて弥勒菩薩は、元来は西アジアの太陽神ミスラがインド思想に取り込まれたものであろう、という説もある。とすると、そのメシア的性格は大いにうなずける。そしてマニ教の教義もまた、ゾロアスター教に由来すると思われる善悪二元論による光と闇の闘争の教義、太陽神ミスラが主導して、闇が支配する現世を打ち倒すハルマゲドン思想をもつのである。 ...続きを見る

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2008/05/02 04:36
【シナの変容】 弥勒殿に鎮座まします布袋様
【シナの変容】 弥勒殿に鎮座まします布袋様 ここで弥勒と布袋の関係について述べておこう。 ...続きを見る

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2008/04/22 05:16
【シナの変容】 革命シンボルとしての弥勒
【シナの変容】 革命シンボルとしての弥勒 シナの仏教は、おおきく禅、浄土、密に分けられる。禅は文化人知識人に好まれ、民衆は浄土に往生することを希求するのは日本と同様である。また密教は、唐時代に伝来し不空が大成したものの、その弟子・恵果が日本の空海に伝法して東渡させたためか、シナ本土では栄えず、チベットに伝来したものがいわゆる「ラマ教」としてその地に栄え、チベット以外ではモンゴル人・満洲人たちが信仰するばかりであった。 ...続きを見る

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2008/04/16 06:38
【シナの変容】 短命だった世界帝国
【シナの変容】 短命だった世界帝国 武照が唐を中断させる弥勒革命を成功させたのは690年であったことはすでに述べた。このころ後代に深い影響をおよぼす宗教的できごとがもうひとつあった。マニ教のシナへの伝来である。694年のことであった。 ...続きを見る

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2008/04/14 04:41
【シナの変容】 革命の変質
【シナの変容】 革命の変質 シナにおける革命とは、「天命を革める」ことに他ならない。しかし、ご承知のように「馬上天下をとる」ことがゲンジツであって、あらたに皇帝権力を手に入れたものが天命を云々するにすぎない。このゲンジツを毛沢東は、「鉄砲から政権が生まれる」(槍杆子出政権)と喝破した。 ...続きを見る

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2008/04/11 08:15
【シナの変容】 洛陽、トポス・ブッデイスモ
【シナの変容】 洛陽、トポス・ブッデイスモ 洛陽は、「中国」すなわち首都として「中国」(こちらは中原の意)の中心であった。だからいわば「中国の中国」である。漢代に成立したシナ・イデオロギーの宇宙論的定位によれば、この都市は天下・世界の中心として永遠に首都たるべきであった。それゆえか、インドから請来された仏教においても、この「中国の中国」は重大な意味を有することになった。 ...続きを見る

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2008/04/08 15:46
【シナの変容】 毛沢東が聞いた天命
【シナの変容】 毛沢東が聞いた天命 シナの宗教性と精神生活についてのいくつかのスケッチを試みてみよう。それを以ってやり残した宿題処理の方向を確認したい。 ...続きを見る

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2008/04/05 06:18
【シナの変容】 シナの宗教性と民衆叛乱
【シナの変容】 シナの宗教性と民衆叛乱 ケ小平のいわゆる「経済改革」路線とは、共産党の指導を堅持しながら資本主義を導入することであった。人民の物欲の開放は、その政策をささえる大動力となって、うますぎるほどに機能してきた。とくに都市部での見かけの上だけの成功でも外国人とシナ人自身もあざむくのに十分なようにも見える。 ...続きを見る

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2008/04/03 00:36
【シナの変容】 集合無意識とサルのイモ洗い
【シナの変容】 集合無意識とサルのイモ洗い さてやっと「シェルドレイクの仮説」を利用してのシナの変容を促すことができるかどうか考察できる地平に立つことができた。 ...続きを見る

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2008/04/02 15:54
【シナの変容】 むき出しの人間たち
【シナの変容】 むき出しの人間たち さて、わたしはシナ遊学中にしりあったシナ人のほとんどが前回第二のシナ人としてあげた都市住民であって、農民たちと直接交流があったわけではなかったし、もちようもなかった。ただわずかに彼らのその凄惨悲惨な生活といくらかの行動を垣間見ただけであった。 ...続きを見る

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2008/04/01 15:19

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