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zoom RSS 習近平、中央権力の栄光と滋味をあじわう

<<   作成日時 : 2009/08/20 00:48   >>

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金鐘氏が、習近平の太子党の群のなかでとくに秀でた特徴としてあげる第二点は、その身の処し方です。

1979年に清華大学を卒業した近平は、重大な岐路に立っていました。1978年12月に開かれた十一期三中全会で、中共は「改革開放」に大きく路線を転換しました。

それはケ小平の権威と胡耀邦の指導が確立された大会でした。

ケ小平の「改革開放」路線は、その「先富論」すなわち「先に富めるものから富む」というロジックと抱き合わせになっていました。

そのため、俗に言う「向銭看」(金銭を重視する、「向前看」前向きに見る、とシナ語で同音)という現在にまでつづく金銭欲、物欲を「開放」された多くの亡者を生み出したのです。


そして数々の政治的特権を行使でき「先に富める」機会をもつ者達に、それはつまり中共党員にということですが、先をあらそっての金儲け風潮を生み、そして手をつけられないほど腐敗をもたらしたのでした。


第一回に述べたように、十一期三中全会で正式に名誉回復された父・習仲は、広東省第二書記に任命されました。その特権を利用すれば習家、ならびに近平は商業活動により大もうけをする機会もあったのです。そして多くの党軍政の高級幹部子弟たちは実際そのようにして「発財」(財を成す)に成功したのでした。


しかし、「習家の復活して現職にもどった年長者たちは、頭をしぼって子女たちの前途について考えたでしょう。彼らはきっと近平の身の上に政治に従事する資質を見出したのです。そこで、彼を軍事委員会秘書長の耿飆の秘書に送り込んだのです。」と金氏はつづけます。

耿飆は、湖南省出身の毛派の軍人で、共和国建国後はおもに外交で任についていました。「四人組」打倒後は、中央宣伝部をしきり、1978年には国務院副総理となり、翌年には党中央軍事委員会の秘書長となりました。

それは、軍内の日常工作に責任をもつ軍指導部の実権をにぎるポジションでしたから、軍の機密がそこに集中しています。その秘書となれば、もちろん様様な機密資料に目を通すことになりますし、また秘書長が外国訪問時にはこれに同道する、という機会もありました。

このような重要な地位に任命されたことは、もちろん父の権威も役立ったのでしょう。そしてその工作を通じて、「近平は高層権力の栄誉と滋味をあじわい、そして政治に従事することへの欲望を促す作用があったのでしょう」(金鐘)


しかしこの間の事情は、なぜか習近平の履歴からはタブーとして隠匿されているようです。そしてそのためか彼の軍装の写真などいっさい公開されていません。


このような中央権力の近くまでまっすぐのぼったにもかかわらず、習近平は惜しげもなくその地位を投げ捨ててしまいました。彼には別の目算があったのです。そしてそこにこそ彼の「下放」経験で学んだ処世術が生きているのかもしれません。またそこに彼のよく練れた思考力の真面目をみることができるでしょう。



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