トゥルク、シナの歴史のもう一人の主役 V

ここでついでに突厥について述べてしまいましょう。突厥は現代シナ語では「Tu Jue」とよみトゥルクを漢字で書き表したものにほかなりません。これこそ疑う余地のないトルコ人のたてた国で、北朝から唐代にかけて上記のように東はマンチユリア(満洲)から西はビザンツ帝国の北、南はインドにわたる帝国を、シナでいう北朝時代に打ち立てましたが隋のころ東西に分裂します。前回述べた突厥文書は東突厥のものです。

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        突厥帝国版図(画像はクリックで拡大)


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        突厥文字(画像はクリックで拡大)


さて長くなりました。まとめてみましょう。440年の北魏建国から907年の唐滅亡までトゥルク系鮮卑人の王朝がまず華北、そしてシナ全土におよび陸続としてとぎれなかったこと。 この結果、シナ文明の主体がハン・チャイニーズからあたらしいシナ人へとバトン・タッチしたこと。岡田英弘氏はこれを「第二の中国」と呼んでいます。


漢は建国当初のつまずきで匈奴に隷属する羽目に陥りましたが、れっきとしたハン・チャイニーズの王朝でした。(というのは転倒した理屈で、漢文明を築いた民族をハン・チャイニーズという、とすべきでしょう)


このハン・チャイニーズのシナは三国時代をもって終了し、五胡十六国の戦乱による民族シャッフルをへて新しいシナへと生まれ変わりました。この過程で果たしたトルコ人の役割を見るとき、トルコがシナの歴史の影の主役であるとはこのことでお解かりになると思います


それにしても、こうみると、いわゆる漢族の立てた統一王朝は漢しかなく、「漢語」をしゃべるいわゆる「漢族」は、シナ人の願望と異なり混血をへた新シナ人であることがわかります。


それらをシナ人と呼ぶにしても唐滅亡後に「シナ人」の立てた統一王朝は宋と明しかなく、両王朝ともに北方の騎馬民族に圧迫され続け、その他はすべてモンゴル、満洲という異民族の統治を受けていたのです。


これを言い換えれば、シナ人はシナの歴史の主人ではなく奴隷であった(すくなくとも奴隷であった期間が圧倒的に長かった)といえるでしょう。これこそ、シナ人自身が意識上あるいは無意識上に知る事実であって、彼らのファナテイックな民族主義を生み出すコンプレックスとルサンチマンの源なのです




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この記事へのコメント

umejum
2007年08月29日 23:46
おいちゃんさま,こんばんは。 民族入り乱れですね。 大帝国を求めつつ,クレンジングも推し進める狂気の源流はこの辺にあったりして? そういえば漢族の割合って結構かわるものなんでしょうか???
nhatnhan625
2007年08月30日 00:32
ずっとまえですが、テレビのチャンネルをいろいろ変えていたら、唐時代のドラマをやっていました。なんか最近はやった?ものみたいで、書店でDVDも売られているもののようでした。
で、李さんが、「朕は鮮卑の出身だが、中華の文化をなんとかかんとか・・・」といっているのをみて、あ~いちおう鮮卑族というのは隠してないんだなと思いました。

でも、俳優はもろシナ人でした。

ま、他のドラマでもインド人やらウイグル人やらも、茶色いドーランや付け髭つけたシナ人俳優がやってますが・・・・。

中共(中華民国でもかな?)では「中華民族」にはモンゴル人、満州人、チベット人とにかく全部ふくまれるそうなので、唐が鮮卑族でもかまわないのでしょうか?よくわかりません。

マルコおいちゃん
2007年08月30日 04:43
umejumさん、
こんばんは。
シナは民族と文明の舞台に過ぎず、各族いりみだれて王朝が勃興したわけです。ですから誰をさしてシナ人というかは定義の問題ですしシナ人自身にもよくわからず、シナ語をしゃべりシナの礼教を受け入れたものはすべてシナ人にカウントしてしまうようです。
ですから日本人のように見かけはあまり違わない民族はシナ人になりやすいと思います。
いかがですひとつ試してみては?
マルコおいちゃん
2007年08月30日 04:53
武道家ひまじん老師、
シナ人が使用するいいわけに、「シナは異民族支配者も高度なシナ文化に同化してしまった」というのがありますが「どうか」と思います。

どうしても高度な文化文明を有する自分たちが騎馬民族のような「ケモノ」のような者達に奴隷として服従せねばならぬのか合点がゆかず、奴隷としての歴史は糊塗粉飾したいようです。

唐が鮮卑とは疑いのないものゆえ、しぶしぶ認めているのでしょう。そして彼らもシナに同化した、としてしまいたいのでしょう。

しかしシナが不変であったわけではなく、様々な民族が混交してできあがったものがシナである、とすべきでしょう。このこと後に北魏を詳述する回で提起する予定です。
nihonhanihon
2007年08月30日 08:55
チャイナには、インド人の君主もペルシャ人の君主も、チベット人の君主もいましたもんね。
意外と知らない人が多いようですね。
nihonhanihon
2007年08月30日 09:36
脱線ネタ。
月氏の本当の名前はどうだったんでしょうね。
やはりトルコ人の間ではご先祖様扱いなのでしょうか?
柔然はモンゴル人らしいですね。
マルコおいちゃん
2007年08月30日 16:49
nihonhanihonさん、
1)「チャイナ」「君主」「インド人」「チベット人」これら概念の定義や如何?

2)月氏は匈奴に追われて西に逃れた、ということですが、それがどんな民族あるいはエスニック・グループであったかは匈奴同様不明です。モンゴル、トルコ、ペルシャ、チベットいずれかの祖先ではあると思われますが・・・。あるいは原西域人というものがあって、それが上記各グループに枝分かれしたのでしょうか?謎は深まるばかりです。とにかく自己の記録を残さずシナの資料頼りではどうにも片がつきません。

柔然はモンゴル人とされていますが、しかし古代ではモンゴルとトルコの区別はまだなかったとも言われていますね。「モンゴル人」というグループも雑多な人種混交であるわけですから、人種的にはいわゆるモンゴロイドでない者たちも混ざっていたことと思われます。
nihonhanihon
2007年08月30日 23:42
ありがとうございます。
1)現代にはめ込むのは無理がありますね。
「中国人は昔からずっと変わらず中国人(=漢民族)」という思い込みをポイするべし、ということでフライングしてしまいました。
2)なるほど、ネイティブの群れが分岐しながら混血しながら現在に・・・その方が自然に感じてきました。
マルコおいちゃん
2007年08月31日 00:03
nihonhanihonさん、
>中国人は昔からずっと変わらず中国人(=漢民族)」という思い込みをポイするべし

「中国」という用語法以外はまさにそのとおりです。
nihonhanihon
2007年08月31日 04:51
あ、今回、「中国」って書いたのはわざとなんです。
「~という思い込み」って書いたのです。
ここに勉強に来ない人の大半が「中国」・「中国人」という思い込みをしているからです。
紛らわしい言い方を何度もごめんなさい。
マルコおいちゃん
2007年08月31日 04:58
nihonhanihonさん、
なるへそ、そういう深い配慮があるとは知らず失敬しました。よく見ればたしかに括弧でくくってありますね。失礼!

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