シナ人とシナ語は共同幻想である

『正論』別冊第8号は、「反日プロパガンダにトドメを刺すために、日中歴史の真実」という特集で、有意義な文章が沢山掲載されている。なかでも開巻一番の、岡田英弘教授の文が、いつもながら深い内容をわかりやすくやさしい言葉で記されているので参照に値する。


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中国人にとって「歴史」とは何か(2)」(副題、「どうせ政府の宣伝さ」という彼らの本心を見抜け)がそれである。

わたしは岡田氏の諸著作からいままで大いに啓発されてきた。この文もその一つである。氏のこれまでの持論がコンパクトにまとめられているので必読、といってもよかろう。

なかでも

「「中国人は、じつに多種多様である。五十五の少数民族と漢族、という分類はご存じだろうが、その十二億いる漢族のなかも、ひとさまざま、ひとりひとりがみな別々で、他人のことを「同じ中国人だ」と考えて連帯する、というような考えはない。それは一つには「中国語」というものが、二十世紀になるまでどこにもなかったからである。さらに言うなら、そんなものが必要だとは、だれも思っていなかったからでもある。このことは、日本人やアメリカ人やヨーロッパ人には極めてわかりにくいが、本当のことであり、また、中国を理解するための鍵でもある。」

「いまだに中国全土に通用する「中国語」は存在しない。「普通話」は、かつての漢文と同様、地方の中国人にとっては外国語にひとしい。つまり、われわれ日本人が考えるような、同じことばを話す十二億の中国人はいないのである。」

 「ひとつの国民としての中国人は存在しないのだから、国民国家としての中国の歴史もない。政府によって「中国の歴史」として教えられるものは、じつは、ひとりひとりの中国人にとっては、何のかかわりもないものだ。だから、「歴史」とはなにかと問われれば、中共政府に教えられたとおりに、情熱を込めてオウム返しに答えることになるが、腹の中では、その場さえつじつまがあえばいいのだ、と思っている。中国人は本心では「どうせ歴史は政府の宣伝さ」と考えていて、まじめに向き合ってなんかいない。これが中国人にとっての歴史の真相である。」


という部分には激しく首を縦にふらざるをえない。わたしの短いシナ体験に照らしてもまさにそのとおりである。

彼らは、実はすべて、例えれば北京人や上海人などあって、「中国」人ではないのだ。それはあくまで理念であって現実ではない。このこと、このブログでも以前に述べておいた。

しかし重複をおそれずあえて再度述べよう。

比較のためにもちだせば、「シナ」という概念は「ヨーロッパ」に近似している。ヨーロッパでは、ドイツやフランス、イタリアなどという言語もメンタリティもことなる民族グループが国家を形成している。すべて民族国家(Nation State)である。ナポレオン以降にヨーロッパに出現したあたらしい国家形態である。

しかし彼らは共通の文明的基礎を有している。キリスト教信仰、ギリシア・ローマの古典、文法構造の似通った言語などである。

これらの基礎があるから「欧州共同体」(European Union)などという、国家連合も形成可能になる。しかし彼らはけっして国家主権を放棄してはいない。



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あくまで諸国家を結びつける共通理念として「ヨーロッパ」という概念が機能しているだけである。

なかには、「わたしはヨーロッパ人である」というドイツ人もいるが、それは一つの理念を語っているのであって、国籍を述べているのではない。

まさにこれと似通った状況がシナと各地のいわゆる「中国」人の関係に見られる。

もしシナにおいて漢字という表意文字をもちいての書き言葉の統一がなく、アルファベットのような表音文字が用いられていたなら、シナは早々に現在の欧州各国のように各地に言語ごとに分断された諸国家が成立していたであろう。

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                   春秋戦国時代各国図



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                    シナ語方言分布図


どれほど方言が異なるかを以下に示してみよう。ただし私の知る北京語と上海語の比較に限定しておく。
                    

例文1
我在這裡吃飯。(わたしはここで食事する)

北京語
Wo zai zheli chi-fan.
上海語
Wala lala gadda check-weh.

例文2
你在那裡散步,是吧?(あなたはあそこで散歩する、そうでしょう?)

北京語
Ni zai nali sanbu, shi ba?
上海語
Nong lala yimi bixiang, duiba la?

いかがであろう?このようにローマ字で記すといかに異なった言語であるかが一目瞭然である。

しかも上海語の場所をあらわす介詞で北京語の「在」にあたる「lala」や、場所を表わす指示代名詞で北京語の「這裡」や「那裡」に相当する、「gadda」や「yimi」には当て字で表記する事もあるがその漢字には意味がなく、結局はもともと書き言葉がない単語なのである。

また「散歩」にあたる「bixiang」は「白想」とも表記されるが、漢字が意味するものとは別の意味をあらわすだけであるから、これも一種の当て字であろう。

「吃飯」という表記は両者共通であるが、その発音はまったくことなる。

しかし文法構造が近似しているのはたしかであるから、同系統の言語体系に属するものであることは間違いないであろう。

この点でも欧州各国語の関係に似ている。

<続きは次回に>



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この記事へのコメント

leslieyoshi
2007年12月07日 04:13
よくわかります!
この狭い香港でさえも実に様々な「シナ言葉」が交わされていますもの。エリアによっても幅を利かせている言語はさまざまですからね、面倒です、実に。
ddzggcd
2007年12月07日 06:35
 以前北京から来た役人を接待したとき“看”を“kou”と発音していたため全く話の内容が聞き取れなかったことがあります。
 湖南省出身の人と会話したときは言葉の端々に“ki”という発音があり、非常にやっかいでした。普通話に“ki”の発音はあったでしょうか?

 それはそうと、ある中国人が内蒙古(これ差別用語でしょう?)の人たちは“解放”後、みな喜んで中国に編入されることを望んだなんて話をしていたんで、内蒙古人民党の話をしてやろうと思いましたが、その場の雰囲気もあり止めたことがあります。
 その人、私の会う中国人の中では珍しく反中共的な考え方を持っているのですが、それにも限界があるということのようです。
ddzggcd
2007年12月07日 09:06
 勘違い。湖南省の方の件は“ka”でした。普通話で“ka”という発音は“珈琲”程度しか思いつかなかったので、どの漢字を“ka”と発音しているのか全然見当がつかなかったのです。
ビンナン語
2007年12月07日 10:30
なんて、あのむじなをはじめ、各国の学者(むじなは学者じゃないか・・・)が、シナ語系統じゃないという説をだしてますよね。やっぱそういうひとには、しナチスは、圧力かけるんでしょうね・・・・。
nhatnhan625
2007年12月07日 14:17
上のコメント、わたしです。
ニックネームのところにタイトルいれちゃいました・・・
マルコおいちゃん
2007年12月07日 17:09
leslieyoshiさん、
そうですか、あのこてこての広東語エリアだった香港が、シナ語系インターナショナル化してしまったとは、情けなくも物悲しい話ですね。
かっての殖民都市・国際都市もシナの一都市に堕してしまったことが、そこからも知れますね、無念。
マルコおいちゃん
2007年12月07日 17:16
ddzggcdさん、
内モンゴルは、南モンゴルとすべきでしょうね。湖南人といえば、胡耀邦のNHKホールでの演説を聞いたことがありました。半分ほどしか聞き取れませんでした。隣の天津人に、たずねたところ、彼も全部は聞き取れなかったそうです。毛沢東の言葉も録画などで聴くとやはり重いアクセントですね。あれなども湖南語としたほうが性格なのでしょう。揚子江一体は、「L」と「N」がひっくり返るということがありますが、「Ka」についてはわかりません。
マルコおいちゃん
2007年12月07日 17:21
武閑老師、
閩南語は、台湾問題のからみで学術問題が捻じ曲げられていると思われます。

現在の台湾語(閩南語、福佬語)にもやはり当て字と思われる書き方が多く、台湾が独自の正書法を編み出せば自然と大陸とシナ的なものから遠ざかってゆけると思います。
sakuratou
2007年12月07日 17:51
エントリのご趣旨から外れてしまうかもしれませんが、私は今回の北京オリンピック、戦術的に北京と上海を離間の計にかける絶好の機会だと思っています。上海人は「北京オリンピック?こちらは万博だ!」ぐらいに異常にライバル心を持っており、ちょっとおだてると北京への罵詈雑言が始まります。今は世界の関心も北京ばかりですし…。
マルコおいちゃん
2007年12月07日 19:21
櫻党さん、
「他人の嫌がることはしない」のがモットーの誰かさんでは、どっちにもいい顔しちゃうんでしょうね。

いずれにせよ上海人には「ポッキンニン」への恨みは骨の髄までしみこんでいますから、わたしは知り合いの上海人にあうたび、上海はいつ独立するのか?と焚きつけることにしていますが・・・

櫻党さんもどうかひとつ、そのせんでよろしくお願いしたいもんだね(ベンジャミン伊東)
にほんはにほん
2007年12月09日 23:04
「なんぼ?」という言葉が北京と上海では全く違う。
マルコおいちゃん
2007年12月10日 03:22
北京語>duo shao qian?

上海語>chi dei?

でしょうか?やはりちがいますね。

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