中華民国というペテン

「アジアで最初の共和国」がご自慢の中華民国(Republic of China, これを「シナ共和国」と訳された林建良氏はまったく正しい)は、その成立から今に至るまで、つまり、清朝を倒しての建国から、シナ大陸での共産党との内戦に破れ、日本敗戦後から不法に占領していた台湾に逃げ込みそのまま居座りつづける現在までであるが、見事に一貫して虚構と幻想にささえられた国家体制であったし、いまもそうある。

話は、日清戦争までさかのぼらねばならない。なぜならその戦争に敗れたことにより、シナにおいて国家意識が高まり、国民国家を建設しようといううねりが始まったからだ。

その当時のシナ大陸は、満洲人が漢・チャイニーズを奴隷支配する体制であった。満洲人は、モンゴル人の助けを借りてシナ亜大陸を軍事占領し、チベット、東トルキスタンなどとモンゴル同様の個別の同盟を結び、それぞれの民族と宗教の守護者としてふるまい、漢・チャイニーズにたいしてはシナ皇帝として君臨した。それは国家ではなくシナ古来の天下であった。

そのシナ皇帝の軍隊(その実、李鴻章の私設軍隊だった)が、日本に敗れるというあってはならない事態となった。欧米の強力な帝国主義にあちらこちらと侵食されるのはおおめに見られても、格下とみなしていた日本に敗れたことは、シナ人にとっては相当な心理的衝撃であったことが容易に知れる。

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李鴻章


そこで、日本にできることなら自分にもできるはず、と短絡的に考え、清朝は国民国家へ脱皮することによりサヴァイヴァルを謀った。国民国家は、共和制でもいいし君主制でもよいのであるから、シナ皇帝を中心に国民国家を建設しようというアイデアそのものは悪くはない。

しかし清は、大きく分けてもモンゴル、東トルキスタン、チベット、漢・チャイニーズという異なる民族、言語、歴史、宗教、文化を有する地域を政治軍事的にまとめている帝国であったから、そのままでは国民国家と矛盾する。

早くそこに気づいていればよかったのであるが、肥大した国家自我は、みずから縮小を選ぶことができず、日本の明治維新における天皇の役割をそのままシナ皇帝がはたせると考え「洋務派」「変法派」などが改革と「維新」を実行しようとした。国民国家という概念がよく理解できていなかった証拠がそこにある。ただ国民国家軍は戦争に強かったからその一点においてまねびする価値あり、と踏んだのであろう。


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                変法維新派の厳復、康有為、梁啓超


そのため日本へ学べとばかり大量の留学生を日本へ送り出し、帰国した者を官吏として採用もした。その中で重要なのが、軍事留学生である。日本政府は、シナからの留学生のために特別な援助をあたえた。まず柔道で有名な嘉納治五郎が設立した弘文学院などの日本語速習課で日本語を習得したのち、陸軍省がつくった振武学校という予備科を修めたものは、陸軍士官学校さらには陸軍大学へと進めた。

この日本で軍事を学んで帰国した者たちが、新軍という日本式軍隊の軍事指導者となって大陸各地に散った。これらの日本留学生たちの高められた民族意識は、清朝改革ではなく、清朝打倒そして漢・チャイニーズ自らの国家建設へと向かうようになった。

そしてこれら日本留学帰りの新軍指導者たちが起こしたのがいわゆる辛亥革命である。孫文が指導したなどというのは、なんの現実的根拠がない大嘘である。ペテンの始まりであった。これについては黄文雄氏が一書を著しているからご参考あれ。(『中国が葬った歴史の新・真実』青春出版社、シナ語翻訳版は『国父與阿Q』前衛出版社、台北)


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この口からでまかせばかりで「孫大砲」とあだ名された口舌の徒を担いで、急ごしらえででっちあげられた中華民国であったが、初代大統領の地位は、順当にも北洋軍閥第一の実力者・袁世凱の手に落ちた。

そして一世一代の大ペテンが行われる。

清朝が支配した帝国を、そのまま国民国家であるべきシナ共和国の領土としたことである。本来ならば、漢・チャイニーズだけで身の丈にあった独自の国民国家をこしらえていさえすればその後のシナの現代史はずいぶんとちがったものになっていたであろう。

しかし清朝というシナ皇帝が、シナ支配と同時にシナの外部に有していた権力の大きさに魅せられたのか、中華民国はモンゴル、東トルキスタン、チベットをふくむ帝国をそのまま共和国の版図としてしまったのである。(幸いにも、モンゴル人たちはモンゴル北部にモンゴル人民共和国を成立させていたから、全土をシナ人にのっとられることをあやうく逃れた。それは辛亥革命直後、中華民国建国の直前、1911年12月のことであった。)

この大ペテンが現在にもつづくモンゴル、東トルキスタン、チベットの悲劇の現代史の淵源である。中華民国は満清帝国の継承政権である、というのがそのペテンのいいわけである。ここにまずシナ国民国家建設の最初の失敗が期されることになった。


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               ありもしない各民族団結を宣伝するポスター


その後の軍閥割拠、さらにはソ連の扶持による(またもや「孫大砲」をかついでの)いわゆる北伐により軍閥割拠から軍閥同盟による安定に進むかと思いきや、北伐が生み出した鬼っ子、共産党軍による南部シナにおける割拠、さらにはソヴィエト政権樹立という分裂、軍事対決に進んだ。

それ以降の、ソ連の陰謀によりシナ内戦への泥沼にひきずりこまれた日本とその役割、国共内戦の経緯はここではおもいきって省略する。

簡略すれば、統一国家、国民国家としては、中華民国はこの間まったくといってよいほど機能しなかった、ということだ。襤褸のごとく乱れる、という言葉どおりの有様であった。そんなシナへ、ソ連の陰謀、米国の嫉妬による干渉がったにせよ、うかつにもオーヴァー・コミットメントさせられた日本はいい面の皮であった。またそれを回避できなかったことを日本の指導者は責められべきである。われらはそれを現在未来の戒めとしなければならない。

そこにはソ連の援助を得られなくなった蒋介石たちの、英米をうまく利用してのペテンがあったのではあるが、むしろ英米が蒋をうまくのせて利用した、というのが妥当であろうか。英米も日本敗戦後その反共の砦としての役割の大きさに気づいたのであるが、すでに時遅し、自らが前線に立って共産主義と戦うはめになったのは小気味がよい。

閑話休題

さて日本敗戦後、連合軍司令部の指令のもと国民党軍は台湾を接収した。つかのまの大陸と台湾にまたがる中華民国の(主観的には)晴れ舞台であったろう。しかし中華民国はシナ大陸に建国された国家である。共産党との内戦をたたかう国民党軍は大陸支配もままならず、ついには大陸を追われ台湾へと逃げ込んだ。台湾の悲劇がはじまった。


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                        228事件


それは台湾人にとってはまさに悲劇であったが、国際的には虚構に満ちた喜劇であった。サンフランシスコ講和条約により日本の台湾支配が国際法的に公式に終了したが、しかし台湾の帰属は明文化されなかった。国共対立の行方がさだかでなかったこともその理由であろう。

国際法的には、台湾は日清戦争の講和条約である下関条約により「化外の地」(中華の感化およばぬ地)として清から日本へ割譲されたのであるから、日本が台湾を返還するなら清かその継承政権である中華民国へ、であるべきであった。ところが中華民国は、すでにシナ大陸の統治権力を共産党にうばわれている。そして蒋介石とともにやってきた中華民国が火事場泥棒のごとく台湾にいすわっていたから、そのまま台湾すなわち中華民国になってしまったのであった。

ここに第二の大ペテンがはじまる。

すなわち中華民国の領土は、うばわれたとはいえモンゴル、東トルキスタン、チベットをふくむシナ亜大陸であり共匪に暫時占領されて入るが、かならずまた奪い返す、というものだ。それを理由に蒋介石政権は、台北を臨時首都とする虚構の中華民国体制を再建し反共の新しい砦として日米の経済軍事援助を得て生き延びることに成功した。

この体制こそ台湾がそこから独立しなければならない桎梏そのものである。

この虚構の体制があるからこそ、シナ大陸を占領した中共軍閥政権が、台湾は「中国の一部」というでたらめを主張できる根拠となっているのだ。

そして中共は、この台湾における中華民国体制の虚構をうまく利用して、連合国の中華民国の席次を政権継承者として奪取することに成功し、中華民国を「国際的孤児」へと追い込んだのだ。


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              連合国に「復帰」した中共政権代表団


中華民国は、台湾とはもとより一切関係がなかった。中華民国が建国されたときには、台湾はすでに下関条約により日本の領土となっていたからだ。台湾は日本敗戦という悲劇により放り出されて、そして中華民国という強盗にむりやり押し込まれ有無を言わさずすべてを奪われ、そしてそのまま居座られてきたのだ。台湾人こそ台湾における中華民国体制という第二の大ペテンの最大の被害者である。

この非道なペテン師・中華民国とその虚構の体制から独立をはかる台湾人に、われわれ日本人はこころからの声援をおくらずにはいられない。



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この記事へのコメント

sakuratou
2008年01月19日 11:06
なるほど。「日本の歴史の中で中国と関わった時は必ず不幸に見舞われる」ということですね。
私は、清朝崩壊当時の様子は「紫禁城の黄昏」ぐらいの知識しかなかったので、このエントリで背景がよく理解できました。
nhatnhan625
2008年01月19日 14:26
このペテン、台湾はともかく、シナ本土でペテンと気がつくのはいつのことでしょうか・・・

孫文の演説とかにも、
昔のわが国には徳があった、外国はそれを慕ってやってきた、みたいなことが書いてありますが、こういうのを信じているから「中国人」なんでしょうね・・・・。
huhuhu
2008年01月19日 20:10
どっひゃ~~ってくらい、知らないことばかりでした・・お恥ずかしい。辛亥革命=孫文って認識しかなかったんだもん・・・。
このエントリー、あと10回は読み直したいと思いまする。
★台湾おばば★
2008年01月20日 00:42
老師!
老師のエントリーを娘と共に、もう少し読み込み咀嚼したいです。また、もしよろしければ、これらが載っている内容の書籍を私自身も自分で読んでみたくなりました。
よろしかったら、おすすめの書籍を教えてください。
マルコおいちゃん
2008年01月20日 19:40
★櫻党さん、
シナは「敬して之を遠く」、が一番です。
台湾とは、「琴瑟相和す」でしょう、ね。

★武閑老師、
シナの「中国病」あってのシナ人ということですね。ということは、それは「死にいたる病」ということになります。怖いことです。

★ huhuhu姐さま、
玄洋社、お閑なときにレポートお願いします。あまりお閑がおありにならないようですが・・・

★台湾姐さん、
ううむ、なにをお勧めしてよいのやら、あまりに多すぎて、ね。
まずは
『歴史とはなにか』岡田英弘、中公新書。
『中華民国』横山宏章、中公新書。
『台湾』伊藤潔、中公新書。
以上が手に入りやすく読みやすいと思います。

ただし『中華民国』は、歴史知識を得るためだけに割り切って読んでください。歴史の真実を知るためにはあまり役に立ちません。
『台湾』載国輝、岩波新書は、「中国病」が強すぎて不愉快になります。
★台湾おばば★
2008年01月21日 00:23
多謝老師!
少しずつ読んでみます。
マルコおいちゃん
2008年01月21日 16:19
台湾姐さん、
『歴史とはなにか』は、なんにつけても必読です。
kinny
2008年01月21日 16:19
小生は孫文に、清川八郎にもにた、一抹のあわれを憶える者なので、バッサリと切りおろすには忍びない。
むしろ現実に密着し、足元を見ることに終始しすぎるためにかえって発展から阻害されてきたかの国の事情こそ呪われるべきではないか。
たとえば南宋などは現代に通じる文明の萌芽をみせつつ、商業的には世界初の近代ともいえる社会実質を持っていたが(あらゆる価値の計数化、計量化、つまり交換可能な状態を支える社会)個々の異様なまでの計算高さが総体としての中国における近代を成立せしめなかった。

イタリアに受け継がれたギリシャ的矜持や、イギリス、ドイツにおけるプロテスタンティズム的矜持のような、契約を成立させるための一種の精神基盤が中国にはなかった。

「仁」はあまりにも個人の問題であった。いや、個人に訴求するに留まった、といえるかも知れない。

われわれは、そんな「口舌の徒」を助けることで、個人の限界、ナマな人間の限界を、間接的に語ってもよかった。

もちろん中国に入れ込む、という愚行について、正当化するものではない。
気分を語っているにすぎないのだが。
マルコおいちゃん
2008年01月21日 16:41
kinnyさん、
失敗し続けた口舌の徒が、なぜか国父に祭り上げられる国情ですから、それが全てを物語っているのではないでしょうか?きっとその口舌たるや群をぬいて人を魅了するものがあったのでしょう。彼を援助し続けた頭山満の本音を聞いてみたいものです。

彼に同情するお気持ちは痛いほど理解できますが、ここは敢えてバッサリ切り捨てるべきではないでしょうか?
kinny
2008年01月21日 17:36
もちろん、ご指摘のとおりである。

西洋ではよく偉人視されがちな、徒手空拳の縦横家に同情するタチの小生は、ついこんな場合でも心情吐露が始まるのである。

小生は、根が軽薄漢に相違ないね(笑)いわゆる無責任な同情論の代表である。
マルコおいちゃん
2008年01月21日 21:02
kinnyさん、
皮肉的同情は、相手にはもっときついかもしれませんね。それを知ってて敢えてする貴方って、実にイジワルっ!!
Nao
2014年08月10日 09:42
<清国から、永遠に割譲された台湾>
<蒋介石中華民国が、国土復帰を宣言し侵奪した台湾>

WW2後に独立宣言してしまえば良かったかも知れませんが、蒋介石に期待してしまった一部の台湾人が呼び込んでしまった…。

日本もそうですけれど、イギリス程強くなければ、小さな島国は一難去ってまた一難状態…。イギリスは、清国との「永遠よりも長かった99年契約」をあらゆる裏取引によって完遂しました。

大陸中華人の猛毒キャラは体験者しか解らない禍々しさがありますね。「さすが人肉料理6000年の歴史を持っているだけある」と、事ある毎に納得します。

孔子の教えを、人肉食を強調し、「目上の立派な方の為に自らの肉を奉げる行為は素晴らしい」と上層部の人肉大好き人間達が大陸中華人達を煽動しながら刷り込んで、遣らせ続けてン千年。
大陸中華人達は真剣にそれを信じて遣って来ましたからね。刷り込みとは怖ろしいものです。

そして、新たな「上層部の思惑の刷り込み」による、「バカな中華民族だけ、あっち向いてホイ!」にバカな中華民族だけが「ハーイ!」と煽動されている現実は、諸外国に多大な被害を及ぼして来ました。人数が多過ぎるだけに被害も甚大。「人数効果の罠」にはまって居ますね。

大陸中華人達は、「人間が人間らしく有る為の、適度な集団人数」というものがあり、それを越えると不必要な力で仕切る必要が出来、結局は何らかの形で歪が出て来るという科学的人類社会学の分析も、考慮する余地はあるかもしれませんね。

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