【シナの変容】 革命シンボルとしての弥勒

シナの仏教は、おおきく禅、浄土、密に分けられる。禅は文化人知識人に好まれ、民衆は浄土に往生することを希求するのは日本と同様である。また密教は、唐時代に伝来し不空が大成したものの、その弟子・恵果が日本の空海に伝法して東渡させたためか、シナ本土では栄えず、チベットに伝来したものがいわゆる「ラマ教」としてその地に栄え、チベット以外ではモンゴル人・満洲人たちが信仰するばかりであった。



塗炭の苦しみ、とは苦しみが泥にまみれ炭火に焼かれるようだという喩えであるが、シナの農民の生活がそれである。



1959年から61年にかけての毛沢東の失政に由来する飢餓地獄は、3500万人から4000万人といわれる餓死者をだしたのであるが、その地獄の中で農民は樹木の皮をはいで食したり、ついには泥まで口にいれたという。また例によって「形に共鳴」したのか食人も行われた。



シナ歴代の為政者には民生という観念は希薄で、富の収奪のほかには農民に対して「自生自滅」(生きるも死ぬも勝手にせよ)という政策しかもたず、そのような生活条件と環境を古代から現代にまで強いられているのであるから、民衆は神仏にすがるしか生きようはなかったのであるし、また今もないのである。



民衆が神仏にのぞむものは現世救済である。それゆえ浄土宗本来の極楽浄土に往生して成仏しようとする思想はむしろうしろにひきさがり、弥勒が下生して救済してくれることをひたすら待ち望むことになる。



弥勒とは、ご存知のとおり弥勒菩薩(マイトレーヤ)のことである。すなわち釈迦牟尼の次にあらわれるブッダとしてすでにノミネートされている。いわゆる未来仏である。しかしまだ成仏していない身であるから菩薩である。



釈迦牟尼・ゴータマ・シッタルダが仏陀となり法をといたのは紀元前600年ころのことであったから、その後代のましてや外国の民衆は直接その教えにあずかることはできない。そこで未来仏に期待するというわけなのだが、しかし弥勒が下生するのは釈迦入滅後56億7千万年のことなのである。



それまでは弥勒菩薩は、兜率天で修行しながらいかに衆生を救済するかご思案中なのである。そのお姿は、京都広隆寺の「弥勒菩薩像」としてわれわれには親しいものである。


しかしシナでは、その表徴は日本でいう「布袋」であってずいぶんとことなっているのであるが、そのわけは後述する。


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弥勒信仰には、浄土信仰と同じく弥勒菩薩のおられる兜率天に上生して一緒に成仏したいと願う上生信仰と、弥勒菩薩の現世への早い下生と衆生救済を願う下生信仰がある。シナの場合はもっぱら下生信仰である。



武照が大周革命のイデオロギーとして利用したのがこの弥勒下生信仰であった。



この信仰は、(自称)弥勒の化身として現れる救世主に指導される世直し、造反、反乱あるいは革命へと容易に結びつく



そして武照の稿で述べたように、大周革命が弥勒信仰を革命イデオロギーとして開放してしまったため、その後のシナでは困窮した農民と食いはぐれて各地を流浪する元農民が蜂起するさい、弥勒のイメージが救済のシンボルとなったのだ。






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