テーマ:習仲勛

【中共異端思想の系譜】その11、異端派粛清

さて鄧小平が党内権力を掌握しいわゆる「改革開放」へ国策変更したのは1978年の十一期三中全会であった。その「凡是派」(すなわち毛派あるいは毛路線維持派)との権力闘争に利用されたのが「北京の春」の「西単民主の壁」であった。その代表的表徴が魏京生の「第五の現代化」(つまり民主化)であった。 しかし三中全会後、鄧小平は「四つの基本…
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【中共異端思想の系譜】その8、鄧小平

「中国」では禁書扱いの産経新聞「中国」総局長・伊藤正氏の『鄧小平秘録』上巻(産経新聞社)に李一哲の大字報についてふれた箇所がある。短いので無断で引用する。(313ページ) 「文革当時、中国庶民の生活は貧しく、自由もなかった。74年11月、広州市内に張り出された李一哲(りいってつ)の大字報は、西側からはるかに立ち遅れた現状を憂い、…
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習近平、中央権力の栄光と滋味をあじわう

金鐘氏が、習近平の太子党の群のなかでとくに秀でた特徴としてあげる第二点は、その身の処し方です。 1979年に清華大学を卒業した近平は、重大な岐路に立っていました。1978年12月に開かれた十一期三中全会で、中共は「改革開放」に大きく路線を転換しました。 それは鄧小平の権威と胡耀邦の指導が確立された大会でした。 鄧小平の…
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習近平、青春時代の光と影

いわゆる「文化大革命」は、路線闘争、イデオロギー闘争を装った権力闘争でした。そのロジックが外部には理解しがたく、海外左右両陣営とも「文革」の開始から収束までその理解は的外れなものが多かった所以です。 「文革」の開始は、1965年の上海『文滙報』に掲載された「海瑞の免官を論ず」の発表とされていますが、その準備段階…
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習近平を近距離観察

再録ついでに昨年8月にイザにエントリーした<習近平を近距離観察 >シリーズも再録しておくことにします。 昨年の中共十七全大会で、コキントウの後継者になりあがった習近平についてはナゾが多く、やれ「上海閥」だの、「太子党」だのととりざたされています。 「上海閥」とは、とんでもない勘違いに違いありませんが、「太子党」とは…
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